【エントリーNo.131】
和田 真季
作品タイトル : 最後の半年間
数年前から自分を癒そうと沢山の方のサポートを受けてきました
自分の内側、自分の心に対するアプローチ、もっと自分を大切にして良いのだと
自分の外側だけが全てで、ほぼ完全に自分の感覚をシャットアウトして生きてきた私にとって、頭では分かっても体感として得てゆくのは中々難しい事でしたが
それでもそれらはゆっくりと私の内側に浸透していってくれていました
2年前に他界した母との数年、特に最後の半年間はその経験が無ければ私も母も乗り越えられなかったと思います
母との事をSNSでの愚痴や、サポートを受ける際に説明する事はあっても、こうして外に向けて書き記す事はありませんでした
こころのレスキュー大賞を見て、私も母も共に頑張った時間を形にしておいても良いのかもしれない
そう思ってこれを書いています
それまでも、何で自分はこんななのかな?何でどれだけ頑張っても惨めさや苦しさが常に付き纏ってくるような人生なんだろう?
そう不思議に感じつつも、生きるなんてこんなものなんだろうと言う諦めもあった様に思います
それでもどうにかやってこれていたのがとうとう限界を越えたのか、何も出来なくなり動けなくなった私が助けを求めたのは自分を見つめる事でした
自分の中で何が起きているのか知りたい
おそらく初めての自分の心からの欲求だったのです
そうやって心の事、自分と繋がる事を学び始めた頃、母も体の具合を悪くしました
またそれとリンクするように、母が長年行っていた私に対するある行為
人からは「母親だからってなんでそんな事された相手の介護なんて出来たの?」と言われる程度には非道で、
家族からは「対処したんだからいいだろう」とあしらわれる程度には、私のことをバカにした行為が発覚しました
一体どういう事なのか、何を考えているのか
問い質しても母はその事で自分の非を一切認めず、それどころか私の責任にして何とかこの場を切り抜けようと足掻き、とうとう大声で泣き出して結局私が折れました
その時、一瞬世界が空白になったのを今も覚えています
自分と世界が切り離されたような感覚に、あれ?と場違いな事を思いました
それは不思議な感覚でしたが、あれは絶望だったのだと最近になってやっと理解出来つつあります
精神的に大きなダメージを負っていた時に、1番信頼していた相手にとどめを刺された
その時の私はそう感じたのでしょう
実際は私がまた自分を蔑ろにしてしまった事が大きかったのでは?と思うのですが、その時の私にはそれしか出来ませんでした
そこからは端的に言って軽い地獄です
自分の非は認めないのに何とかして許させようとしてくる母と、
この件を経てこの関係はおかしいと何とか適切な距離を取ろうと藻掻く私
具合が悪い事もあり、私にしがみつくように益々依存を深めてくる母
癒しも何も堂々巡りの日々の連続でした
その当時は母との関係性がぐちゃぐちゃに絡まりすぎていた事もあり、何故こんな事になるのか、何故母との共依存が断ち切れないのか
カウンセリングやヒーリング等沢山のサポートで自分を見つめようと頑張りながらも、以前の自分に戻ってくれとすがりついて来る母への自分の中の反応の大きさにどうにもならなかったのですが
今なら、母は寂しかったのだと
実母との関係性に問題があった母が初めて手に入れた、自分を全て受け入れてくれる存在だった私に自分でも無意識に甘えていたのだと
そして私の中にも母に対する深く大きな愛があった
その事が分かるようになってきています
膠着状態のような1年1年をそれでも何とか乗り越え、サポートや学びの甲斐もあって、思うように動き出せないままとは言え
自分の中にも何とか落ち着きや理解が拡がり始め、母にも以前よりは柔らかさを持って、けれど自分の気持ちの大切さを心がけて接する事が出来始めていた頃
今度は母の処方薬依存が発覚しました
少し前から母の様子が何かちょっとおかしいような…と父と話してはいたのです
体調の問題で以前のアクティブさとは真逆の生活になっていたので、早めの痴呆が始まってるのかも…と
まさか薬物依存からせん妄状態になっているとは夢にも思ってませんでした
緊急外来で指摘された、出されすぎている安定剤と眠剤の量を確認しようとかかりつけの内科に行き
看護師さんの「お母様がどうしてもと強引に」と棘のある対応に戸惑いつつも記録を見せて頂いたところ
私にしていた事が発覚して揉めたすぐ後から不眠を訴え、数年間薬漬けのような状態でした
自分は悪くないに徹していたけれど、母は自分の真実のところで耐えられなくなっていたのだろうか
ぼんやりとそんな風に感じました
たまたまその日は夜にヒーリングモニターをお願いしていた日で、施術中に
「今日は凄く怖かったんじゃないですか?固まってる感じでエネルギーが全然流れていかないんです」
ヒーラーさんのその言葉に、やっと自分が固まってしまっていた事に気がついたのを覚えています
体の強ばりが取れると自分がその日ずっと怯えていた事を感じ取れて、
薬のあれこれなんて理解が及ばないし、看護師さんからはピリピリとしたものを感じて緊張していたし、もうずっと怖かったのだとやっと自覚出来ました
結局その内科では減薬も上手くいかず、
他の総合病院の心療内科にお世話になる事になりました
看護師さんから感じた「責任を認める訳にはいかない」空気や、知識が大昔で止まっていた老医師に思うところが無い訳では無いですが、
この辺は母のプロセスでもあったのではないかと思います
心療内科では薬をやめたいと言う母の希望を優先して、体の調子を見ながら薬を減らして行くことになりました
暫くは本人は幻覚に悩まされつつ、私と父はせん妄状態の謎の行動に頭を痛めもしましたが
3ヶ月もするとようやくそれらも落ち着きを見せて来ました
すると今度は突然起き上がれなくなったのです
偶然心療内科の予約の日だったので、父が車までおぶって病院まで乗せていき、院内に居た看護師さんに頼んで車から車椅子に乗せて貰って何とか診察して頂きました
一時的なものだろうと診察された先生の落ち着いた様子に、薬物依存でこういう事はよくある事なのかと
改めて母は大変な事になっているのだと思い知らされた出来事でした
幸い、仲の良い叔母さんが介護の仕事をしていたのですぐに詳しいアドバイスを求める事が出来て、排泄の処理も最初こそ抵抗感が物凄かったですが1度経験してしまえばお互いに何とかなりました
母も腰を浮かしたりは出来たので、本当に寝たきりになっている人よりは楽に処理が出来ていたのではと思います
勿論文句は山ほどあったしそれをぶつけて傷つけてしまう事もあったのですが
そこにいかずに自分の中を見つめる事を選ぶことも沢山出来ました
以前の私なら常に傷つける事を選び続けてお互いぼろぼろになって、こんな事を一緒に頑張るなんて出来なかったと思います
一時的なものなら、2週間後の予約の時にはもう動けるようになってるだろう
その期待も虚しく母は動けないままで、先生も首を傾げておられたのですが
その診察の際の、体がどんな感じかの母の受け答えが何か引っかかって
もしかしたら最初は減薬の影響だったけど、今は寝たきり生活で筋肉が落ちて動けないのでは?と思い至りました
母は薬物依存の症状が出る前から一日の半分を横になって過ごすようになっていたし、
コロナの規制が始まった頃でもあって、毎朝の喫茶店や週何回か通っていたマッサージも控えていたタイミングで歩けなくなり、一気に筋肉が落ちてしまったようなのです
早速母に寝たままでも出来る寝たきり防止の簡単な筋トレをいくつか提案し、
まずはひとつ毎食後にやってみようとなりました
やってみると覚束無いながらもきちんと足が動くので、これは間違いないのではと期待が持てました
落ちてしまった体力の負担にならないよう、少しずつ少しずつ回数を増やし種類を増やし、
体を動かす事が大嫌いだった母も頑張りをみせ
一ヶ月後には何とか自力で立ち上がれるようになりました
そこからまた歩けるようになるまでは比較的早かったように思います
その当時の事をモニターを受けていたヒーラーさんに話した時、
「お母さんの事凄く良く見てたんですね」
そう仰って頂けたのが印象に残っています
自分の内側と繋がろうと色んな方のサポートを受けて来なかったら、
私の中にはこんなに閉じ込めていた様々なものがあったのだと知らないままだったら
「お前のせいで!!」
と全てを母のせいにして嘆いてばかりで、母が診察の際に説明していた体の感覚の内容の変化に気がつく余裕が持てただろうか
気がつけたとして、それを活かそうと思えただろうか?
きっと無理だったと思います
力仕事以外の母の介護をしていたのは私ひとりだったけど、お医者様は勿論、心配してくれた叔母さんやいとこ達、過去にカウンセリングやヒーリング等でサポートしたくれた全ての人が私を支えてくれていました
動けるようになったのは良いものの、母は身体中酷い筋肉痛で夕方には疲れ切ってしまい横になる生活で、お風呂に定期的に入る体力的な余裕もまだ無いし、おむつも不安から中々外せなかったのですが
朝起きてすぐ家の周りをぐるりと1周、そんな短い散歩でも外の空気を楽しめるようになり、
もうちょっと体力が戻ったらまた喫茶店にも行けるねと
家の中がホッとした空気になったある朝
母は他界しました
数年間に渡る強い薬に依存性の辛い症状に、もう体が限界だったのだろうと思います
そんな中でも最後まで良く頑張ったと思います
母の処方薬依存が発覚し、他界するまでの半年間、本当に嵐の中に放り込まれたような感覚でしたが
そんな中でも思い出に残っている事がふたつあって
1つは、また歩けるようになって初めての診察の日
エレベーターから先に降りた母の歩く姿が、寝たきりになる前よりも背筋が伸びて綺麗になっていたのです
筋トレの効果がこんな所にも!
本当に頑張ったのだなあと思って姿勢が綺麗になってると褒めたら、予想外だったのか何だか所在なさげにしていました
母は受け取る事が出来ない人だったので、茶化してくるか惚けてくるかと思っていたので予想外の反応に ん??と私も戸惑ったのを覚えています
今思うと、照れていたのかもしれないないですね
もう1つは、母が部屋で横になっていた時
何の用があったのかはもう覚えていないのですが、布団の横にいた私はふいに突き動かされて、その衝動のまま母にぽすんと覆いかぶさったのです
驚く母に、「甘えてみた」そう告げたところ、
「嬉しい、もっと甘えて」
そう、本当に嬉しそうな声で私の体で塞がっていない方の腕を私の体に回してくれました
もう何だか堪らない気持ちになって、冗談交じりに慌てて体を離してしまったのですが
本当はあの時、もっとあの甘い瞬間を味わっていたかったのだと、今になって惜しむ気持ちが湧いてきます
あの瞬間を体験出来て本当に良かった
沢山のサポートや学びが私の中にゆっくり浸透してくれていた、それはおそらく介護を通して密な時間を過ごす事になった母にも影響を与えてくれていて、
不器用ながらも確かにお互いに素直に通じ会えていた瞬間を私たちは持つことが出来たのだと思います
母には母の人生が、感情が、プロセスがあって、私の望むようにするのは無理だったのだけど
それでも私の中には母への大きな愛があったし
母の中にもそれはあって
だからこそ最後の半年間、沢山のサポートを得ながら一緒に頑張り抜けたのだと、改めて感謝と共に誇らしい気持ちをここに記しておきます
このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : HITのカウンセラー、ヒーラー、受け入れてくれた母
【作品応募者について】
どんな職種・お仕事をされていますか? : 休職中