一般社団法人 HITキャラクトロジー®心理学協会

グランドマスター紹介 instructor

高き理想と無限の夢を抱くHeartInTouchビレッジの切り込み特攻隊長
吉田美穂(福岡)

吉田美穂
ベーシックグランドマスター
子育てグランドマスター

1975年愛知県生まれ。大阪で子ども時代を過ごす。
小学校6年間と中学2年まで学校でいじめを受けていたが、中学3年のとき学校一のヤンキーに気に入られ、暗黒時代を脱出。やっと楽しい青春が始まると思いきや、冬のある日、ボストンバックを手に玄関に立った母が「お父さんをよろしく」と言い残して男の元に行ってしまうーーー。

「バイキン」「ブス」と言われいじめられていた頃

「バイキン」「ブス」と言われいじめられていた頃、本当に私なんてブスだしバイキンだし、友達なんていなくてもいいや、むしろ私なんかこの世にいない方がいいや、と思っていました。死にたくなったらいつでも自分で死ぬことも選べる、と、学校の裏にあった5階建てのビルの非常階段を上までのぼり、そこから下をぼんやり眺めていた根暗な子どもです。

さらに、幼い頃何度か痴漢に遭った経験から生まれた男性不信が、男子から悪質なからかいを受けることでさらに増幅し、なんで私の人生ばかりがこんなにひどいのですか? と心の中で神様に尋ねてばかりいました。

それが、中学3年になったとき、クラス替えで同じクラスになった学校一のヤンキーの女の子になぜか気に入られたことで、それまで私をいじめていた人たちの態度が手のひらを返したように変わったんです。だから、それからしばらくは学校に行くのが楽しくて仕方なかった。

ようやく人生が幸せになった! 好転しはじめたと思ったそのとき、母が、私たち姉弟を置いて家を出て行ってしまいました。
このときのことは今でもよく覚えています。

「お父さんをよろしく」と言い残して

私は妹と弟が一人づつの三人姉弟の長女なのですが、三人揃って母に呼ばれ玄関に行くと、母がボストンバックを持って立っていました。そして「お父さんをよろしく」と言って、出て行ってしまったのです。

このときには何が起こったのかまったくわからなかったのですが、優しかった父が、この日を境に鬼のように怒り狂って私を責めるようになりました。父は、私が母の行き先を知っていて、それを隠していると思ったのです。いくら「知らない」と言っても、父は私の言葉を信じようとしませんでした。

そのときやっと私は、自分の身に何が起こったのかを理解しました。「私たちは母に捨てられた。幸せが終わった」その瞬間確かにそう思ったのを、昨日のことのように思い出します。

これが、私の母親憎悪の始まりです。

母親がいなくなってしまったので、私は母に代わり家のことをしなければなりませんでした。妹と弟の面倒もみなければなりません。でも私もまだ15歳の子どもです。しかも、ずっといじめられ続けてきた暗黒時代を抜けようやく人生が楽しくなってきた矢先に。
母のせいで私の幸せは終わり、私は自由を失いました。

2年後、母がいきなり家に戻ってきました。母が帰ってきたことでさらに家族はこじれ、また深く傷つくできごとが起こりました。父と復縁するのかと思いきや、母は、そのとき一緒に住んでいた男と福岡に転居する準備のため家に帰ってきたんです。

父と中学生になったばかりの弟を残して福岡へ

私は母から「一緒に福岡に行くか、このまま大阪に残るか」と問われ、母と一緒に福岡に行くことを決めました。この女のことを恨んではいましたが、うるさく心配する父や家のこと一切をしなければならない生活はもう嫌だったのです。こうして私と妹は、母とその男のいる福岡に引っ越しました。父と中学生になったばかりの弟を残して。私はこのとき、17歳でした。

高校を卒業後、看護学校在学中に妊娠・出産。看護師の資格を取った私は整形外科、精神科、老人病院で働きはじめました。が、3年くらいで退職。最後に働いていたのは精神科の老人病院で、面会に来る方もなければ看取りにくる家族もなく、私自身も心がきつくなってきてしまったのです。

看護師をやめた後、友達に誘われて美容器具の販売の仕事を始めました。
これが大当たりして、当時の月収は200万円くらい。

その頃結婚もしていたのですが、夫は働かずに女のヒモになりたい人だったので、彼が家で子どもの面倒を見て、私が外に出て働いていました。

でも、稼いだお金はマンションを買ったり人に使ったりしてまったく残らず、さらに、母から頼まれて母の再婚相手の会社のために私名義・夫名義でお金を借りまくったのに、その会社が倒産。

破産、そしてシングルマザーに

美容器具の販売の仕事で稼いでも稼いでも母と母の再婚相手のためにした借金を返すのに消えていき、私は破産し、マンションも失ったのです。
私の中に、母に対する「お前なんか死ね」という強い思いが巣食うようになり、私は母と絶縁しました。

その後、美容器具の販売をやめ、友達とエステの会社を立ち上げました。
立ち上げたというと聞こえはいいのですが、この頃の私は自己肯定感も低く自己受容もまるでできていなかったので、友達が社長で私は一従業員です。手取り十数万円で朝から晩まで働いていました。

さらに、子どもの頃からの男性不信が徐々に強まり夫が近くにいると眠れないような状態になり、やがて離婚。こんなにひどい男性不信なのに子どもは三人とも男の子で、その三人の息子を抱えてシングルマザーになりました。長男は高校生、次男は小学校4年生、三男はまだ3歳です。

文字通り朝から晩まで働いていたこの頃のことを振り返ると泣けてきます。

朝から夜の8時まで休憩もろくに取らずにエステティシャンとしてお客さまに向き合い、保育園に三男を迎えに行ってスーパーで買い物し、帰宅して夕飯の準備と明日の準備。

子どもたちにご飯を食べさせたら、週に4日、夜中に工場でアルバイトをしていたんです。そんな生活が一年くらい続きました。子どもたちを育てるため、会社のため、来てくださるお客さまのため、とにかく必死でした。

何かおかしい、私の人生って何なんだろう?

よく倒れなかったな、というよりよく死ななかったな、と思います。でも、必死で働きながらも、何かおかしい、私の人生って何なんだろう? と漠然と思うようになりました。38歳くらいです。

この完全なる貧乏スパイラルから抜け出そうと、私は思い切ってエステの仕事も工場でのバイトも辞めました。このままでは、若い頃思い描いていた40歳の自分にはなれない、と思ったからです。

貯金なんてもちろんありませんでしたが、これまでの仕事の経験から、自分の得意なことはわかっていたので、自分のやりたいことをやろう! と独立することを決めたのです。

このとき39歳。では何をしようかと考えたときに、これまでお付き合いのあったお客さまには「エステをやめる」と断言して辞めていたためエステをするわけにもいかず、実は焦りも感じました。考えた末、「どうしてもダメだったら看護師に戻ればいいや」と出張マッサージの仕事を始めたのです。

会社もバイトも辞めてしまっても、母子手当と出張マッサージの収入で息子3人をなんとか食べさせていくことができたのは結構な驚きでした。気持ちにも余裕ができたからか、あんなに身を削って働いていたときよりもむしろ生活が楽になったのです。

その頃、昔の知り合いの方にあるメンタル系の資格の体験会に誘われ、何気なく行ってみたら、その場でいとも簡単にスプーンを曲げることができたんです(笑)初めて、「私、やろうと思えば何でもできるんだ!」と心底思いました。その勢いのまま、貯金もない中なんとかお金をかき集めてその資格を学び、インストラクターになりました。

インストラクターになったものの、提供できる講座の受講料は10万円と決まっており、「私なんかに10万円払って学びに来てくれる人なんているはずがない」と最初は戦々恐々としていました。

そこで、せっかく学んだその方法を使ってその“思い込み”を外してみたんです。なんと、そうしたらどんどん受講や個人セッションのお申し込みが入るようになって……これ、嘘のような本当の話なのですが、あっという間に月収が7桁を超え、マックスの月商は350万円でした。

ずっと夢に見ていた40歳の自分が夢ではなくなってきたと思えた頃、私の人生のパターンがやってきたのです。そう、中学時代のあれと同じです。ようやく人生がもう一度楽しくなってきたある日、いきなり本部から「講座もセッションも止めてください」との連絡が入ったのです。

最終的には考え方の違いによる誤解が生んだ悲劇だったのですが、またそこから半年近く、無職です。350万稼いでおいて良かった。

キャラクトロジーマスターとの出会い

キャラクトロジーマスターの資格を知ったのは、ちょうど月商が頂点に達した頃のことです。

私、実は美穂子先生に初めてお会いしたとき、怖くて目を合わせられなかったんです。そのくせイベントの後の懇親会まで参加しましたが(笑)。でもなるべく目につかないように端っこで気配を消し、気づかれないよう一足先に帰ろうとしたらなぜか駐車場の入り口で美穂子先生と鉢合わせして……その瞬間、何が何だかわからないまま、気づいたら嗚咽して泣いていました。それまでの私は、どんなに苦しくても辛くても、人前では絶対に泣いたことがなかったのに。

混乱する私に美穂子先生は一言、「あなたのハートが えぐれているからよ」と。衝撃的でした。そのときわかったのは、私は美穂子先生が怖かったんじゃなく、美穂子先生と目を合わせることで自分の中で何かが動くであろうことを本能的に察知し、感情の蓋が人前で開いてしまうことを怖れたんだということ。

その後、350万円の残りで(笑)キャラクトロジーを学び、マスターの資格を取り、自分が講座を開く前にとにかく先輩マスターさんの講座を受けまくって学びを深めました。今はマスター講師を養成できるグランドマスターの資格も取ったので、自分で講座を開くほかにマスターさんの養成も手がけています。振り返ってみると、キャラクトロジーと出会ったタイミングは、まさに私にとって精神的にも経済的にも転換期だったのだなと思います。

自分がどんどん変わっていく

プライベートでの自分もどんどん変わっていきました。子どもを怒らなくなったんです。それまではブチ切れては子どもを追い詰めて追い詰めて怒っていました。

そして怒っている自分を正当化していたんですよね。今ならわかります。私は自分の大変さや人生のつらさを子どもにぶつけていただけなのだと。愛する息子たちにこんな風にしか接することができなかったことを本当に悔やんでいます。

息子たちには小さかった頃のこと、今でも謝っています。私との関係の中でついてしまった彼らの心の傷に寄り添って、ごめんねって。こうして心から謝れるようになったのは学んできたおかげです。私が変わったから、子どもたちも変わりました。長男は困ったときに「助けて」って言うことができるようになったし、次男はやりたいことを見つけました。末っ子はお友達との付き合い方が劇的に変わってきています。

私はといえば、子どもの頃に起こったできごとのすべて、人生のすべてを被害者意識でとらえ、全部母親のせいだと恨み続ける人生をやめることができました。学んできて本当に良かった。今は、こんな体験をさせてくれた両親に感謝しています(笑)

私、キャラクトロジーに出会って、自分の人生がどうしてこんななのかその理由がわかったんです。理由がわかっただけじゃなく、「じゃあ、どうすれば変えられるのか?」もわかった。本当に、もっと早くキャラクトロジーを知っていたかったですよ(笑)

もっともっとたくさんの人に私と同じ感動を味わって欲しい

だから、もっともっとたくさんの人に私と同じ感動を味わって欲しいと思い、その一心で講座を開き、キャラクトロジーを教え、マスターさんを育てています。特にマスター講師さんには、私がこれまで経験から、あるいはお金を払って学んだお金の稼ぎ方、集客の仕方のスキルも含めて私の持っているものを全部吸収して欲しくてバリバリ伝えているのですが、とにかく夢中でそんなことをしているうちに、気づいたら私の周りにキャラクトロジーを学ぶ・教える人たちのコミュニティができていました。これはすごく嬉しいことです。

だって、ずっと私は本当の意味で通じ合える、一緒に頑張っていける仲間が欲しかったから。講座を受け、学ぶことにはもちろんお金が必要です。でも、マスター講師になれば、学ぶのにかかった分を回収した上により大きなお金の循環をみんなで創り出していくことができます。キャラクトロジー心理学協会はその仕組みをしっかり作ってくれていますし、私は私で、仲間たちとのコミュニティの中でその仕組みを考え、楽しんでいます。

私、「この人はベーシック、子育て、恋愛のうち何が得意かな?」を考えて見抜くのが得意なんです。もちろん、マスターになる気はないけれどキャラクトロジーには興味があるという方もたくさんいらっしゃいます。それでも全然OK。なぜなら私の夢は、誰もが「生まれてきてよかった」「生きててよかった」って思えるような平和な世界を作ることだから。
ぜひ、一緒に夢を見て、夢を実現させていきませんか? 

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公開日:
最終更新日:2019/06/17