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いじめの原因と家庭環境と加害者・被害者・傍観者の親が知っておくべき知識と対応法

 

[いじめ]とは(Wikipediaより抜粋)

犯罪のひとつであり、自尊心を損わせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為である。

文部科学省の定義においては、児童の一定の人間関係のある人物から、精神的、物理的な攻撃を受けたことで苦痛を感じていることとされる。

一般的には学校が目立つが、学校だけでなく職場でもネットでもどこでも起こりうるものであり、かなり問題は根深い。人が集まる場所ならどこでも起こりうるものである。

目次

いじめの原因

いじめは加害者によるストレスが引き金になって起こるとされていますが、いじめっ子(加害者)が原因で起こる場合といじめられっ子(被害者)に原因がある場合の二つのパターンがあります。

いじめっ子(加害者)に原因がある場合

家庭でのストレスが原因ではないかと思われるケースも多々あるものの、そのはっきりした根拠も、またストレスの原因となる因子も明らかにされにくいのが特徴。

可能性として、たとえば試験勉強で自分を過度に追い込んでいたり、あるいは学校でも家庭でもいわゆる“優等生”としていい子に振る舞っている反面、実は自分自身に無理がかかっており、そのストレスのはけ口として自分の周囲の自分より弱いものに攻撃の矛先を向けているといったケースが考えられますが、一概にこれだけが原因とは言えません。

いじめられっ子(被害者)に原因がある場合

被害者に原因がある場合には、被害者が属するグループの他のメンバーと明らかに違う価値観を持っていたり、また家庭環境によりグループになじみにくい場合など、集団心理として自分たちから外れた一番弱いものをいじめの標的にするというケースが多く報告されていますが、こちらも加害者と同じくすべてがこの通りではありません。

幼少期に育った家庭環境の中に「いじめの構図」のモデルがある

キャラクトロジー心理学協会では、家庭の中にこのいじめの構図のスケール(モデル)があると考え、その子どもが家庭の中でどんな役割についていたのかという観点からそこに何が起こっていたのかをみていきます。

私たちは誰しも、自分の育った家庭以外の家庭を知ることはないため、自分の育った家族の中だけに通用するそれぞれの役割の中で生きています。

そして、母親との関係性、父親との関係性において自分がどのように遇されているのか、また家族という最小のコミュニティの中でどのように振る舞えば愛されるのかに、幼い頃から注意を払い、また試してきているので、小学校に上がる頃、その家庭の中で習い覚えたパターンを家族以外の人、つまりクラスの中で実践します。

それによって私たちは、他の生徒や先生たちといった家族以外の人がどんな反応をするのかを知ることになるのです。

つまり、自分のやったことや言ったことがどのような結果として自分に返ってくるのかを最初に試す場所が学校であり、所属するクラスの中なのです。

こうして自分が幼い頃から習い覚え、正しいと信じている在り方から一人ひとりが行動しているわけですが、それぞれの家庭の中で行われているやり方が実はどんなに痛み深いものであったのかを知るのは、もっと後になってから、つまりその歪みが問題として大きくなってからです。

加害者、被害者に加え第三の立場があって初めていじめの構図が固定化し問題となる

学校の中で行われるいじめというのは人生の初期におけるリアル・シミュレーションゲームのようなもので、当事者たちが本当に悪意を持ってやっているケースはほとんどないと私は思っています。

ただ、家庭の中に自分の居場所がなく、いつも弱々しい立場にあるという役割を持った生徒と、家庭の中で自分の行為行動のすべてをただ受け入れられ、咎められることのない生徒が同じグループに存在した時には、必然的にその関係性は優位に立つ者と劣勢に立つ者とに分けられます。(この場合の「すべてのをただ受け入れられる」というのは、親が適切に叱ることができないという意味です)

これが基本的な被害者と加害者の構図です。

しかし、加害者と被害者だけではいじめの構図は成立しません。

ここに必ず存在するのが、その関係性を見ている「傍観者」という第三の存在です。

傍観者がいて初めて、いじめの構図は固定化し、問題として認識されていきます。

 

性差による違い

同じいじめでも、性差によって違いがあります。それぞれを詳しくみていきましょう。

男の子のいじめ

いじめは男の子同士の方が多く、女の子同士の方が少ないという統計が出ています。

男の子同士のいじめの場合、最初からその子を攻撃するという意図があるわけではありません。

男性は男性だけのグループを作り、その中で力のある者が他の者よりも上に立つという生物本来の本能的な行動をどんな年齢でも取るためにぶつかり合うことが多く、そのことが、女の子同士よりも男の子同士のいじめの方が多く見受けられる理由です。

そして男の子には、仲の良い者どうしでお互いに肩を叩き合ったり首に手を回したりするという行為が普通にみられますが、そのことが、それを見る第三者の視点や見た者、された側の日常生活にあまりない状況である場合、大きな衝撃を持って傍観者または被害者に受け取られることがあります。

さらにそこに反撃できないあるいは言い返せないというおとなしい性質を持っている場合、その力関係は小さなグループの中で固定化してゆきます。

いじめられる側は家庭の中と同じく弱い立場に立ち、いじめる側は家の中にいるのと同じようにコミュニティの中に自分の居場所があり、味方がいるというそれぞれの“役割”にはまったとき、それをただ見ている者としての傍観者が加わって「いじめの構図」が組み上がるのです。

女の子のいじめ

男の子に比べて女の子は基本的に協調性が高く、おとなしめで、グループ意識やコミュニケーション能力が高いため、ひとたびコミュニティの中の関係性がいじめという形に発展していくと、陰湿になりがちです。

男の子のいじめは一対一であることもありますが、女の子のいじめは、グループ対少数になるケースが多いようです。これは、女の子の方が家庭の中で母親やきょうだいとの親和性を高く持っていることが原因と考えられます。

ただ、家の中の居心地が悪かったり居場所がないと感じている子は、先ほどから書いているようにいじめられる側に立つことが多くなります。

また、家族と仲が良くて協調性もあり、自分の意見ではなくとも親しい家族の意見をそのまま鵜呑みにして受け入れるという意味での順応性が高い子は、グループ心理の中で、自分の意思を表現するよりもそのグループの中の大勢の意見に賛同し流されやすく、そのようなタイプは男の子より女の子によく見られます。

そして、この両者が同じクラスの中に存在すると、いじめる側とターゲットになる側になる可能性が高くなるといえます。

さらに、もちろん何も波風の立たない家庭はないと思いますが、両親が常に喧嘩をしていたり、きょうだいが親に怒られる姿を見て育ってきた子は、そこで自分がどう行動して良いか分からなくなるという体験を重ねてきているために、傍観者としてグループ力学に関与する率が高くなります。

 

年代による違い

年代によっては、いじめが深刻になったり、いじめなのかどうかはっきり判断できないグレーなものもあると思います。

ただ、他者とぶつかり合うことそのものが悪いわけではなく、自分の家庭の中しか知らない子どもが、外の環境の中で他者の価値観とぶつかり合うことで見識を改めたり新しい体験をしたりと、学校というコミュニティにおいては人生における学びももちろんたくさん得ることができます。

では次に、年代別に緊急な対応を要する場合、またどのように水間もあっていけば良いのかをお話ししてゆきます。

幼稚園・保育園時代

幼稚園・保育園の頃というのはまだグループ意識や差別意識が少ない時代です。

ただ、お気に入りのおもちゃの取り合いや仲良しのお友達を巡っての葛藤などは起こります。

この時期に適切に周りの大人がサポートすることで、子どもは、「これはしてもいいこと」「これはしてはいけないこと」を学ぶことができます。

この頃のいじめはいじめといってもさほど深刻なものではないので、サポートする大人の側が深刻に考えすぎてことを大きくしないよう心がけ、また一緒に楽しく遊ぶ方へと誘導することができれば、大きな問題にはなりにくいでしょう。

また、人と付き合う上で適切な触れ合い方を学ぶのに良い時期でもありますので、もしも遊びの中でお友達に怪我をさせたりといった事件が起きたときには、適切な謝り方を学ぶこともできます。

小学校時代

小学校に入ると様相はがらりと変わり、注意が必要な場合も多々出てきます。

小学生の時期というのは6歳から12歳までの幅広い年齢の子どもが混在している分、起こってくることもさまざまで、多様化してゆきます。

けれども、起こった出来事をどのように判断したらよいのかというスケールを子ども自身が持っていないので、問題が明るみに出る頃にはかなり重症化していることもままあります。

親や教師はどのように対応すればよいのか

先生と家庭との連絡ノートというものがあると思います。

もしも自分の子どもに気になるところがある場合、親はノートに記入し、先生はそこを気に留めるということが必要になってきます。

小学生の時期というのは大脳が発達し始める頃ですので、小さな出来事でもかなり鮮明に覚えていたり、強い衝撃として記憶に残る年齢でもあります。

ゆえに、この時期の親や先生の対応は、その子のその後に大きく影響を与えてもいきます。

学校で子どもをサポートする立場にある先生は、自分のクラスの中で少しでも様子が気になる子やいじめられているのではないかと思われる子がいた場合には、もちろん「相談しにきてね」という声かけ、また逃げ方(たとえば、「いじめられそうになったら職員室に走っておいで」など)を伝えるというのはかなり有効なサポートです。

なぜなら、いじめられている子本人が「どうしたらいいのか」という方法論をいくつか知っているということはとても大切だからです。

そして、そうやって逃げてきたり助けを求めてきた子が、受け入れられ助けてもらったという体験をすると、その体験は、その後の人生に影響を与えます。

つまり、大人になってからも、何かあればサポートを求め助けてもらうことができるという自信につながっていくのです。

親や先生が子どもに起こっていることに無関心である場合、適切なサポートを与えるタイミングを見逃してしまいます。

中学校時代

中学校に上がってからのいじめの場合、もう少し目につきやすくはなりますが、いじめはひどくなりやすいといえます。

中学生になると体も大きくなり力も持ち始めますが、子ども自身は自分に力があることをまだ十分に理解していないため、一旦物事が大きくなると歯止めがきかなくなる年齢です。

また、周りにそれをエスカレートさせるような年上の先輩などがいた場合には、自己責任を取ることができない年齢でありながら、年上の人の言動や行動を真似る時期でもあるため注意が必要です。

中学生の男の子

中学生の男の子というのはちょうど第二次性徴期にあたる時期で、スモールギャング化します。

群れになって行動するのです。

ライオンの群れの中で生きていたライオンの子が自分だけでは戦えないので兄弟で群れて狩をするようなイメージです。

さらに反抗期にもかかってきますので、親が関わろうとしてもどんどん難しくなっていきます。

また、賢くなっていく時期でもあり、親の言うことを聞いている風を装うこともどんどんうまくなっていきますので注意が必要です。

この時期、親が注意すべき点

家庭の中では、親は自分の子どもが今何に好奇心を持っているかということに興味を持つようにすると、我が子が今向かおうとしている方向が建設的な方向なのか破滅的な方向なのかを見極めることができるようになります。

まかり間違っても、勉強をすることや部活にどんどん力を入れることを親が子に強く勧めるというような、心を無視したやり方は避けてください。

このような親の態度は、その子が大人になってから「仕事さえしていれば大丈夫」という安易な考えを持つに至る基礎になりやすいため、子どもがどんなことに興味を持ちどんなことに好奇心を輝かせているのか、どんな風に世界を見ているのかに親は興味を向け、聞き役に徹してください。

それが、良好な関係性を築いていくベースとなります。

この時期、男の子は女親と話をしなくなり、女の子は男親を鬱陶しく思うようになります。

男の子も女の子も、異性の親の匂いが臭いと思うようになるからです。

ですので、この時期には同性の親が話を聞き、同性の親との関わりを密にしてゆくことをおすすめします。

中学生の女の子

中学生の女の子はグループ意識がさらに強くなります。

また、性に興味を持ち始めますので、女の子同士グループでかたまりながらも男の子に興味を持ち始める時期です。

ゆえに、特に女の子は“デートレイプ”にもこの頃から気をつけておかなければいけません。

性の問題に関しては特に、大人は話を聞くことが大事です。

あれをしろ、これをしろではなく、子どもの話に耳を傾け、まずは子どもとしっかりと関係性を築くことをお勧めします。

この時期の男の子のところでも触れましたが、この時期異性の親との関わりが密にならないよう注意を払うことが必要です。

それよりも、同性の親との関わりを密にするよう心がけてください。

なぜなら、同性の親というのはその子のお手本となるからです。

中学生くらいの時期にお手本となる相手がすぐ近くにいない場合、自分のアイデンティティをどう確立したら良いのかがわからなくなり、その不安定さから問題行動に走るというケースが多々あります。

高校時代

高校生になってくると、さらに親は子どもの行動に口を出しにくくなってきます。

さらに、子ども自身が自分の“個”というものを持ち始めるので、小中学校までは頻繁に目についていたいじめも高校ではあまりみられなくなるでしょう。

けれども、家庭の中に自分の居場所が見つけられない、また自分のモデルとなる同性の親との関係性が不安定な場合には、そのストレスが外に向かいやすくなります。

また、高校生になると大学受験等に焦点が移っていくため、勉強をしなければならないというストレスが強くなり、その鬱憤の矛先が、被害者の立場になりやすい相手に向けられることがままあります。

ただ、高校生くらいになると、ある程度考え方が大人になってくるために、加害者を心配するよりも、被害者の心の持ちようをしっかりサポートすることの方が重要になってくるという点を覚えておいてください。

高校生の頃のポイント

私の感覚ですが、中学生くらいまでは大人が加害者に関わっていけます。

つまり、「これはしてはいけない」という大人の叱責が効いていたのが、高校になると効かなくなるのです。

逆の言い方をすると、高校生になると、被害者の立場に陥りやすい子どもにどうサポートを与えていくかによって、いじめの構図を子どもたち自身の力で分解する、あるいはそこから抜け出させていくことがどんどん可能になっていきます。

解決のためにどこに重きをおいてアプローチしていくか、年代によって変わってくることを大人は知っておかなければなりません。

大人がチームを組み、力を合わせて子どもを導く

子ども時代には、誰もがたくさんの失敗をしますし、もちろんたくさんの成功も経験します。

悲しい思いをすることもあれば、とても高揚した気持ちになることもある、豊かな時期です。

だからこそ、ただ一度の、「相手とどう触れ合ったら良いのかわからない」という出来事によって一生を左右されることがあってはならないと私は思います。

特に若い時には失敗からより多くを学ぶことができますので、その失敗をどうすればより良い学びに変えることができるのかを周りの大人たちがチームを組んで考え、そちらの方向へと子どもを導いていくことができれば良いな、と思っています。

 

いじめはなぜエスカレートするのか? その心理的要因は?

いじめとは、初めから相手を深く傷つけようという悪意を持って始まるわけではないと私は思っています。

あくまでも、グループの中の力関係(グループエネルギー)がネガティブな方に傾いた結果の現象であると私は捉えています。

何らかの解決できない葛藤やストレスによって、グループを構成するメンバーのそれぞれが出口の見えない状況に置かれた場合、その緊張した状態を打破しようとして誰かが何か提案すると、それによってグループの方向性がネガティブに流れる場合もポジティブに向かう場合もあります。

ネガティブに流れていった場合、そのネガティブな流れがグループの中の誰か一人の中で、あるいはグループ全体で常態化していくと、ネガティブな流れ=「いじめ」の流れは止まらなくなります。

一旦行動に移された「いじめ」という卑劣な行為は、残念ながら、次はもっと前より酷いものにしよう、もっと違う創造をしようというネガティブな創造の流れからエスカレートしていってしまいます。

この流れが止まるのは、何らかの破滅的あるいは破壊的な出来事が起こった時です。

つまり、いじめによって被害者が深く傷つき不登校になる、自殺という最悪な事態が起こるなど結果として大きな犠牲を払うことでネガティブなグループエネルギーの活路はようやく絶たれます。

ただ、そこに「傍観者」として関わっている誰かがポジティブな行動=それをやめさせる行動の方に向かって動くことができれば、ネガティブなグループエネルギーの暴走は止まり、ネガティブなエネルギーは霧散していくでしょう。

この時、「傍観者」がジャッジメントを持って行動したり、また「どちらが良い、どちらが悪い」「どちらが加害者でどちらが被害者」といった二元性に基づいて行動してしまうと、せっかく声をあげた「傍観者」が次のターゲットになるというリスクをはらんでしまうことに注意が必要です。

 

いじめにおける加害者・被害者・傍観者

いじめというと、これまでは通常加害者と被害者の関係性だけに注目が集まっていましたが、今挙げたこの「傍観者」という立場にある人が、その時どんな行動をしたのか、その時その場で起こっていることにどんなふうに関心を向けていたのか、あるいはどの程度無関心であったのかということが、「いじめ」という行為がどのくらい酷くなっていくかに大きく関与していることに気づいている人はまだ少ないと思います。

いじめの被害者だった人が次に加害者となったり、逆に加害者が次に被害者になったりする例はよく知られていますが、「傍観者」が次に加害者になったり、あるいは被害者になったりする例というのは実はあまりありません。

このことから何が言えるかというと、「傍観者」が「傍観者」であることをやめた時、いじめの様相は大きく変わるということです。

いじめの被害者になりやすい人

自己受容より自己否定が強い傾向にあり、家庭内では自分の意見は決して重用されず、自分がどう思っているのかを発言する場所が少なく、親の言うことを黙って受け入れ、聞く側に回っているおとなしい子は被害者になりやすいと言えます。

このような環境で育っていると、幼くして人生に対する生き辛さを既に抱えており、幸せや喜びに向けて自分を開くという体験があまりできません。

また、目の前に広がる“今”や、この先無限に変わってゆく“未来”に目を向けることができず、常に自分の内側や過去の出来事に意識が引き戻されがちです。

“今”この瞬間にいることも戻ってくることもなかなかできないため、目の前で起こっていることを認識することが難しく、ゆえに自分の周りのエネルギーの動きについていくことができず、結果、被害者になりやすいのです。

いじめの加害者になりやすい人

自己否定感が強い場合もありますが、自己肯定感も同じくらい持っています。

親が地域の役員をしていたりPTAの会長等をしていると、なぜかその子どもまで強い立場に立ち、幅を利かせるといったケースはよくみられますが、これは、子どもと親とが分離できていないがために、子どもが、自分の実力ではないのに親と同じように自分も強い立場を得た、または強くなったと錯覚してしまうことによって起こる現象です。

また、加害者になりやすい人は優等生タイプであるケースも多いでしょう。

人の言うことをよく聞く良い子であることによって自己価値や自己満足を得ている場合、また「褒められるためには何かをしなければならない」という成功報酬型の家庭に育っている場合には、無意識に親の態度を真似て周囲より優位に立とうとする傾向があり、加害者になりやすいと言えます。

兄弟姉妹がいると、どうやって親から気に入られるかが生き延びるために重要なポイントとなり、きょうだいとの関係よりも、親にどんな風に思われるのか、どんな風に愛されるのかが子どもの行動原理となります。

そのため、きょうだい喧嘩をしたり、あるいはきょうだいの動向を親に告げ口することで愛を得たりといった体験を重ねると、いじめっ子(加害者)の立場に立ちやすくなると言えます。

いじめの傍観者になりやすい人

子どもの頃両親が不仲だったり、母親あるいは父親が、祖父母や仕事先の人と不仲であるという話を聞く立場で育った子どもは、その問題に対して幼い自分がどう関わっていけばよいのかわからないという意識を持つようになります。

つまり、家族の一員として家庭の中で起こっていることを見聞きし、また家族が思っていることを聞く立場にあるにもかかわらず発言権を持たない状態にあると、傍観者になりやすいと言えます。

加害者・被害者・傍観者それぞれの家庭環境にあるもの

どんなに正しく在ろうとしても、完璧にやろうと思っても、人間である限り間違いは犯しますし、完璧に一生を過ごすことはあり得ません。

けれども親は、自分なりの精一杯で自分にとって正しいと思うことや、また自分が育った家庭環境で習い覚えてきた家族のあり方を、自分の家庭の中でも再現しようとします。

子どもはそれの何がおかしいのかを理解することができず、また他の家庭の流儀を知ることもないために、それぞれの家庭の歪みの部分までを含め、そうすることが正しいと信じ、自分が家庭を持った時に再現するわけです。

しかし、自分が育った時とは時代も違えば環境も違います。

生まれてきた子どもたちが、自分の子ども時代とは違う時代に生まれ、違う環境の中を生き抜かなければならないということを理解し、時代に柔軟に対応して家庭を作っていける完璧な親はほぼいないと言っていいでしょう。

ネガティブな文化の継承をやめ、新しい在り方の文化を創造する

親が、自分の育った家庭の中にあった歪みに気がつかなければ、その歪みはそのまま子どもの人生に譲り渡され、受け継がれます。

大切なのは、この文化の継承ではなく、それぞれの人間が、一人ひとり、起こった出来事についてどんな風に感じ、どんな風にその出来事を思い、どう動こうと考えているかという点です。

そして、このような、それぞれの内側で動いている言葉にならない部分にお互いに耳を傾け聞き合うことができれば、それぞれオリジナルな一人と一人の関係性の中から、新しい“場”が創造されてゆきます。

自分の子どもの頃に体験した切ない思いや心の痛みを思い出し、それらの何が痛かったのかを理解し、自分の子どもの世代には決して伝えたくないという願いにまでその体験を昇華させていければ、新しい家庭の在り方の中で、新しい子育てをしていくことが可能となります。

つまり、ネガティブな文化の継承をやめ、新しい在り方の文化を創造するという流れに入ることで、加害者も被害者も、もちろん傍観者もなくなり、いじめのない世界、これまでとは違う世界が広がっていくと私は思っています。

 

我が子の生活環境でいじめがあったと認識した時、親がまず最初にすべきこと

我が子が加害者だった場合

もしも自分の子どもがいじめの加害者だということを知らされた時、あなたはどう行動するでしょうか。

我が子に「それは本当なのか」と問いただすかもしれませんし、混乱し困惑し、咎めるエネルギーの中で子どもの話を聞くことができない人もいるでしょう。

ここでまず大切なのは、たとえ加害者であったとしても、子どもであるということを認識することです。

そして、現実にあった出来事の聞き取りを始めてください。

人から言われたことや聞かされたことだけを鵜呑みにして我が子に詰め寄るのではなく、我が子から見た、その時その場所で起こっていた出来事を聞き取り調査するのです。

その時誰が周りにいたのか、被害者は誰なのか、何が起こっていたのか。

それを、一人一人に聞き取っていってください。

一人一人の言い分を聞いていくと、共通している部分と脚色が入っている部分が見えてきますので、共通している部分を総合して考え、我が子が一体何をしたのかを客観的に判断してください。

我が子が被害者だった場合

子どもの様子に十分配慮しつつ、精神的にどのくらいショックを受けているか、肉体的に何らかの怪我をしていないか、あるいはその兆候がないか、持ち物に何か異状がないかをチェックし、可能であれば写真に残します。

子どもが嫌がらなければ、肩に手を触れたり頭に触れるといったことをするのをお勧めします。

そして、被害者の立場として、一体何が起こったのか、どんな風に物事が展開したのかを、ゆっくり聞いていきましょう。

この時、決して強く揺さぶったり、話を急かしたりしてはいけません。

本当に被害者の立場にいた場合、ショックのあまり、起こった出来事の詳細を覚えていないこともままあるため、時間をかけ、ゆっくりと話を聞き取ってください。

次に、加害者の場合と同じく、関わっていた周りの人の話を聞き取り調査していきますが、学校や相手の親がそれを拒否した際には、先生に聞き取り調査を依頼して調書を見せてもらい、一体何が起こっていたのか事実を判断します。

被害者の親から連絡が来た場合には、すぐに謝るのではなく、最初は「帰宅したら話を聞いてみます。教えてくださってありがとうございます」というくらいで止めておいてください。

我が子が被害者だった場合に注意すべきこと

先ほど挙げた、強く揺さぶったり話を急かしたりしないことはもちろんですが、もしも相手(加害者)の親が連絡してきた場合、注意が必要なポイントがあります。

これは私の実体験なのですが、加害者の親から電話が来た時、「何があったのかわかりませんが息子が帰宅したら話を聞いてみます。うちの子も何か失礼なことをしたのかもしれません。わざわざお電話をいただきすみません」と言ってしまったのです。

すると相手の親は、私が「うちの子も何か失礼なことをしたのかもしれない」と言ったことに言質を取り、自分の子だけが悪いわけではないと言い始めました。

ですので、もしも相手の親から何か連絡があった場合には、「ごめんなさい」「すみません」など、自分の子にも非があったのかもしれないというニュアンスのことは言わず、「事実確認をさせてください」という程度にとどめるのが賢明です。

我が子が傍観者だった場合に注意すべきこと

いじめがあったことをプリント等で知るのか、噂で知るのか、子どもから聞くのかはケースバイケースかと思いますが、たとえ傍観者であったとしても、いじめという出来事に対して衝撃を受けていることは間違いありません。

ですので、我が子が傍観者であった場合には、その出来事に対してどう感じたのか、どう思ったのか、どんな気持ちでそれを見ていたのか、その心情を十分に聞き、その上で「ではあなたはどうしたいのか?」を尋ねてください。

いじめがあったと知ったらまずは事実確認

今お話ししてきたように、外に対しては事実確認がまず大事です。

そして我が子に対しては、「いじめがあったと聞いたけど、何があったの? どうしたの?」「なんでもないよ」「ああ、そう」といったような会話で終わらせないこと。

加害者・被害者・傍観者のどの立場に我が子がいたとしても、

・こういう話(いじめ)があったと連絡が来たこと

・そのことについて知っているかどうか

・それを見たり聞いたりしたのかどうか

・その場にいたかどうか

・そのことについてその時はどう思い、何を感じていたか

・そして今、家に帰ってきて、あるいは時間が経って、またはこのように親から尋ねられ、どういう感じか

これらを聞いてください。

いじめの渦中で我が子を守るために親はどんな対策をすればよいか

親や大人が忘れてはならないのが、学校におけるいじめでは、当事者はみんな子どもであるということです。

どんな立場にあろうとも、みんなそれぞれに、起こったことに対してショックや衝撃を受けています。

このショックや衝撃を、親が受容的に聞いてあげることができれば、その後のその子の人生で、いじめによる傷を心を受けることは少なくなります。

親は、先生の言うことを鵜呑みにしないことにも注意を払ってください。

自分は自分の子を守る立場にあるということを忘れないでください。

ここで言う「自分の子どもを守る」というのは、何がなんでも「うちの子は悪くない!」という立場に立つということではありません。

もしも我が子が何らかの間違いをしていたら、あるいは何らかの関与をしていたら、そのことについてどう感じているのかを本人が認識するために言語化させるお手伝いをすることです。

この時、必要があれば専門家やカウンセラー等と一緒に話を聞くことも視野に入れてください。

そして、親自身が、自分もこの話を聞いてショックを受けていること、どんなショックを感じているか、そして何を感じていくかを伝えることはとても大事なことです。

親自身が自らの状態を言語化することは、子ども自身がショックを受けたことを言語化し表現してよいのだと理解するのにとても役立ちます。

 

いじめの自己責任の取り方と謝罪のバランス

いじめの自己責任の取り方というと、一般的には、加害者による被害者への謝罪という構図をほとんどの人が思い浮かべるのではないでしょうか。

けれども、起こった出来事の中には、必ず関わっている一人ひとりが責任を取るポイントを見つけ出すことが可能であると私は考えます。

なぜその時その場所でそれが起こったのか? なぜその時自分は動けなかったのか? なぜ言われるがままになり、起こっていることを止められなかったのか? など、自分がこの現実を変えていくための行動をしなかった/できなかったポイントにおいての自己責任を探してゆくのです。

もしも我が子が加害者であるということが事実確認と聞き取り調査ののちに判明した場合には、その自己責任を取る部分を明確にした上で、相手に対して謝罪をします。

謝罪を受け入れる側、つまり被害者側も、自分自身が責任を取るべき部分を明確にすることが大事です。

自分が自己責任を取る部分を明確にした上で、相手の謝罪を受け入れるのです。

こうすることで、どちらか一方だけが善で一方だけが悪であるという二元的な関係を崩すことができます。

謝罪のタイミングと謝り方

最初にとりあえず謝っておけばいい、と思うのは間違っています。

先ほどから何度もお伝えしているように、まずは事実確認すること。

そして、その時どんな気持ちだったのか、なぜそういう行動をしたのかということを、関与する一人ひとりがそれぞれ精査していく必要があります。

その上で、相手に許してもらうために謝るのではなく、自分が自分を許すために謝罪するという形を取るようにしてください。

ですので、最適なタイミングは、いろいろなことが明らかになった後です。

謝り方は、自分が責任を取るべき部分を明確にし責任を引き受けながら、「ここが自分のできなかったところ、本当に悪かったと思ったところです」と伝えながら、ごめんなさい、と謝ってください。

軽微なケース

当人同士が相手に謝りに行く。

事実確認後、我が子は悪くないと確認できたケース

我が子が加害者であると当初は言われたものの、子ども自身も「自分はしていない」と言い、かつ周囲の事実確認をしてもいじめの事実が確認されなかったというケースももちろんあります。

そのようなケースの場合、事実確認ができなかったとしても、我が子と相手の子どもとの関係性において何らかのトラブルがあるということは事実ですので、二人の間で、なぜこういうことになったのかを腹を割って話す気持ちがあるのかどうか、双方に確認します。

双方またはいずれか片方がそれすらしたくないと思う場合には、自己責任の取れるポイントを明確にし、「今回の一件において自分はここが悪かったと思います」と伝えてください。

あるいは悪くないと思うのであれば、「あなたがなぜそんな気持ちになったのかが理解できないので、どうしてそんな風に思ったのかを教えて欲しい」と、相手の言い分を聞く立場に回ってみてください。

それを聞いた上で、相手がいじめられたと感じるだけの出来事が本当にあったならば、それが相手のイメージや幻想によるものであれ実際の出来事であったのであれ、「そのことに対してあなたはそう感じているのですね。あなたがそう感じているということに私は気がつきませんでした。気がつかなかったことに対して本当にごめんなさい」といったように、「気がつかなかったこと」を謝罪してください。

 

深刻さを増すケースへの対応

感情的な部分への対応

子どもが、友達から酷いことを言われたり、思いがけないことを言われショックを受け泣き崩れたり、あるいは何も考えられなくなってしまっている時には、親は子どものその状況に寄り添ってください。

その感情を子どもが十分に感じられるよう、ただ優しくそばに寄り添い、たとえどんな感情が現れたとしても、決して否定しないでください。

起こった出来事に対して泣いたりくよくよしたり、塞ぎ込みがちになっている時は要注意。

それらを怒りに変え、起こった出来事に対して「今私はこんなに起こっている」というところまで寄り添ってあげてください。

それが難しい場合には、専門家やカウンセラーにぜひ相談してみて欲しいと思います。

抑圧していた怒りが現れ、その怒りがリリースされると、あんなに厄介に感じていた怒りは、生きる意欲に変わります。

怒りが生きる意欲に変わるところまで来れば、もう安心です。

精神的な部分への対応

学校で子どもがメンタル的にショックを受けるような出来事があった時には、とにかく話を聞いてあげましょう。

たとえ「話すことが何もない」と言われても、そのような“否認”の状態に入った子どもをそのまま放置してはいけません。

感情的な場合と同じく、最終的には生きる意欲を取り戻させなければ、その後同じような出来事に遭遇した時、今よりもさらに落ち込むことになります。

その時どう思ったのか、相手に対してどう思っているのかを聞いてください。

怒りの言葉や相手をなじるネガティブな言葉が出てきても、それを歓迎してください。

なぜならそれは、その子の中の怒りや攻撃性が一時的に表現されリリースされていくとても重要な段階であるからです。

自分の中に怒りや攻撃性があることに気づき、「今、私はこんなふうに思っているんだ」と気づいた子どもは、それを目の前にいる大人が受け入れてくれる体験をして初めて、自分を許し、心をゆるめていくことができます。

こちらも、親だけでは難しい場合には専門家のサポートを得ることをお勧めします。

身体的暴力への対応

身体的暴力を受けた場合、事態はさらに深刻です。

(ここでいう身体的暴力とは、体に触れられる、服を破かれる、持ち物を汚されるといった物理的な侵略も含みます。)

肉体的なバウンダリーを著しく侵害された子どもは、自分自身と自分の自尊心を持つことが非常に難しくなります。

もしも身体的暴力を受け、実際に肉体的な怪我や傷がある場合には、その大小にかかわらず、必ず病院に連れて行ってください。

これは、怪我の手当てをしてもらうことが目的ではなく、それほど重要なことであるということを子どもに分かってもらうためです。

なぜなら、自分が体験した痛みの経験は子どもの記憶に深く残るため、それがどんな気持ちであったのかを理解するために、無意識にもう一度その体験をするか、あるいは同じ痛みの体験を他者にさせることでその気持ちを理解しようとする行動を起こす、つまり他者を傷つける行動に出てしまう子どももいるからです。

そして、傷の度合いによって、傷を負わせた相手にどれほどの謝罪をしてもらうのかを決める必要があります。

時には警察や弁護士の介入を必要とする場合もあるでしょう。

体の傷は、目に見えない深い心の傷にもなり得ます。

この体験によって受けた心の痛みをどうリリースすれば良いのか、子ども本人には決してわかりません。

子どもの受けた肉体的暴力を親が軽微なもの、大したことではないこととして取り扱ってしまうと、子どもはこれは大したことではないと思い込もうと心を凍りつかせていくか、あるいは大したことではないからという理由で他者に暴力を振るうことを簡単に考えるようになってしまいます。

セクシャルハラスメント

身体的暴力の中でも、特にセクシャルハラスメントの様相が強い場合には、さらに取り扱い方が難しくなり、対応には細心の注意が必要です。

セクシャルハラスメントを受けた子どもは、出来事そのものやその時に感じていた自分の気持ちをより一層隠そうとする方向に向かうため、一層心の傷の歪みが深くなります。

ここでいうセクシャルハラスメントとは、たとえば男の子同士でズボンを下ろされたといったケースも含みます。

セクシャルハラスメントの場合、必ず先生や学校にも通達し、さらに警察にも事件として報告しておくことを強くお勧めします。

なぜなら、セクシャルハラスメントは、同じ加害者が相手を変えて何度も犯す可能性が高いからです。

セクシャルハラスメントの場合も、それを受けた子どもは、先ほど述べたような方法に従って安全を感じる環境の中で感情的・精神的に内側を吐き出し、自分の身に起こったことをノージャッジメントでリリースしていく必要があります。

また、特にセクシャルハラスメントでは、リリースまでに長い時間をかける必要があると知ってください。

なぜなら、その時に受けた屈辱が「自分はダメだ」という気持ちを結びついてしまうため、しっかりとリリースしない限り、成長し大人になればなるほどその「自分はダメだ」という気持ちが強く深くなり、社会不適合者や落伍者となる可能性が高くなるからです。

残念ですが、特にセクシャルハラスメントによる痛みや傷はなかなか癒えることはありません。

ゆえに、どんなに小さな時であっても、その最初の出来事が起こった時に対応しておくことをお勧めします。

その時に対応しておかなければ、繰り返しになりますが、その時何が起きたかを理解しようと無意識に繰り返し同じ出来事を引き寄せるか、あるいは他者にその痛みを与えてそれを理解しようとするようになるからです。

子どもは柔軟性が高いがゆえに、「まあいいか、こんなこと」と心の中でなかったこととして片付けてしまいがちですが、それをそのままに放置してしまうと、20年、30年経った頃大きな問題となって人生を邪魔してくるのです。

受けた傷は、その大小にかかわらず、できる限り早期に周りの大人が肉体的・感情的・精神的なリリースをサポートし、解決してください。

 

親と専門家にできること

親にできること

子どもの代理人となり、外の世界と交渉してください。

学校や先生に決して懐柔されることなく、どんなことがあろうとも、あなただけは自分の子どもの味方でいると決めてください。

(繰り返しになりますが、これは、盲目的に「うちの子は悪くない」という立ち位置にしがみつくという意味ではありません。)

そして何よりも、子どもの一番の理解者として、子どもの話や子どもの痛みに寄り添ってください。

学校・先生ができること

何が起こっていたのか、関係する全員に聞き取りを行って情報を集め、まずは事実確認を必ずしてください。

起こった出来事を隠蔽しようとしたり、面倒な出来事としてさっさと処理しようとすることは決してしてはなりません。

子どもたちの関係性の中で起こった出来事というのが本来は先生や学校の責任ではないということは理解しています。

けれども、それが二度と起こらないためにも、その出来事を大切に取り扱い、しっかりと事実確認をし、その上で一人一人の思いに耳を傾けて欲しいと切に願います。

子どもたちの声を、聞いてください。

子どもたちに、ああしろ、こうしろと言うことが教育ではありません。

子どもたち自身が「自分はどうしたらいいのか?」「どうしたいと思っているのか?」を考え、見つける方向へと導き、子どもの自治の力や自立の力を引き出すお手伝いの役目を、学校や先生はぜひ担っていって欲しいと思います。

専門家にできること

専門的な知識の部分から、その痛み深い出来事に対して、子どもが自分の感情や思いを整理整頓していくサポートをすることができます。

また、警察や病院が関わってくる場合には、親は混乱し適切に対応できないこともままありますので、第三者的に冷静に判断し手配することのできる立場にあるのも専門家であるということを理解しておいてください。

また、こういった感情的・精神的な部分で被った傷に対し、それをリリースするスキルを持つ専門家もいます。

子どもとの相性もあるでしょう。

一人のカウンセラーの介入だけではなく、いろいろな専門家を探し、自分の子どもとその体験にぴったりくる専門家を探す努力を親は怠らないでください。

 

 

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