ハートインタッチアワード2021
こころのレスキュー大賞ノミネート作品
こころのレスキュー大賞受賞
【エントリー69】木下 佳世(きのした かよ)
エピソード
初めは、私は祖母のことが嫌いだと信じていました。
物心ついた時には私は祖母を嫌っていました。
大人になってからも母から何度も「あなたは昔からおばあちゃんのことが嫌いだね」と言われていたし、家族からは「おばあちゃんのことが嫌いな私」を認知されていました。
祖母の、押し付けてくるところが嫌いでした。何かをくれようとするのですが、私はいらなくて、受け取らないと切れるところも嫌でした。
色んなものを押し付けてきては受け取らせようとしてくることが嫌で、避けるようになっていきました。関わると気分が悪くなる祖母が、すり寄ってくるのも嫌でした。他人の前ではいいおばあちゃんで、家族の前では見せる顔が違うところも嫌でした。
彼女と関わるといつも胸も腹もモヤモヤしました。
会話するといつも気分が悪くなるけど、どう言えばいいのかわからなくて、避けるけれど避けきれない感覚でした。
子供の頃から私は祖母のことが嫌いなんだと信じて、大人になった時に一度、祖母と正面からぶつかった時、祖母から怒りのようなものを向けられて私の内臓がぐるぐるとかき回された感覚になって、祖母のことが怖いと再確認した気分でした。
私が大人に成長する過程で、実家から離れてそのまま結婚して、離婚したときに実家に戻りました。
実家に泊まりで帰ることはしょっちゅうあったけど、改めて生活の拠点が実家に戻ったのは10年ぶりくらいのことでした。
あぁ、私は実家が嫌だったんだった。祖母のことが嫌いで、両親のことも好きな所は沢山あるけれど嫌で、だから私は家から逃げたんだなぁ。なのに私はどうして実家に戻ったんだろう?
この頃から自分についてたくさん疑問に思うようになっていきました。
どうして新しく出来た恋人と私の間に、嫌だった元旦那さんと私の間で起きた同じ問題が起きるのか。
どうしてこんなに日々親とぶつかるのに、実家に戻ってくる時には自分の気持ちには何の問題もなかったのだろうか。
むしろ離婚して帰ってくることを親が受け入れるのは当然よね、と思っていた…。
離婚もほかの問題も、もはや相手のせいだとは思えなくなりました。
なにかおかしい。なにかおかしい。
私に何が起こっているの?
その時に出会えたのがキャラクトロジー心理学でした。キャラクトロジー心理学ベーシック1day講座を受け心の仕組みについて知れた次の日に、祖母に対して怖くて嫌で仕方ない反応を起こした自分に、「本当に怖いのだろうか?」と疑問を持ちました。
「気持ち悪い祖母」「怖い祖母」「嫌いな祖母」それが本当のことなのか、体は反応していたけれど私は勇気を持って見てみることにしました。
朝目覚めて、食事のために階下に降りていき、祖母と父母がいる朝の食卓に、こわいと思いながらも全体を見てみたその時。
祖母は小さくうつむいてモソモソと朝食を取っていました。
衝撃でした。
私はこんな小さくなっている祖母を怖いと信じていたの?!
私にとっての真の問題は、対母か対父の問題が大きくて、祖母との関係性においては思っていたよりも大したことではないのではないだろうか?!
それからは自分の問題に取り組む日々でした。どうして父に対してこんな反応をするのか。どうして母と話すと自分はこんな反応をするのか。
それらを、私に教えてくれたキャラクトロジーベーシックマスターに質問したり、受け止めてもらったりしながら、ひとつずつひとつずつクリアしていったら不思議と祖母と仲良くなっていきました。
その都度、マスターにもヒーラーさんにも支えてもらいました。ひとりでは乗り越えられなくて、泣いてSOSを出したこともありました。
ただただ受け入れてもらい続け、ただただ問題を分解してもらえて、忍耐と愛で居続けてもらいました。
何度も何度も子供の場所に入っては、泣いて怒って絶望したけれど、サポートに手を伸ばすことはし続けて、大人の視点を入れてもらいました。
気が付いた時にはただただ祖母のことが可愛くなっていました。
34年間、祖母のことが嫌いだと言い続けた私を見続けてきた家族も、当の祖母も、私の変化ぶりに驚いていたのが解ったのは少し後のことです。
私にとっては一つ一つクリアしたことなので当然の変化でしたが、周りから見ると驚きだったでしょう。
私の言うことには必ず反論をしてきた祖母が、すんなりと聞いていた瞬間。
祖母がうつむいているところを遠目に見ていたら顔を上げて私の視線に気付きニコッと笑った笑顔を見た瞬間。
祖母が怒りを父に向けた後に私にも向けてきて、私がむぅっと固まったら謝ってきた瞬間。
私が「仕事大変だけど頑張る!」って言ったら、祖母が共感してくれた時に「おばあちゃんも頑張ってたんだね!」と理解して笑い合えた瞬間。
どれもこれも私にとって今までと違う反応で、驚きと喜びの日々を過ごすことになりました。
自分の心や反応に?をつかずに、寄り添ってもらって、自分への寄り添い方を知っていって、そしたら祖母の心に寄り添えていました。祖母に寄り添えたら、祖母の息子である父にも響いていったようでした。
私の父と祖母は、私の目から見て歪んでいて、傷ついていて、ここの問題を今生に少しでも解くことが、私の役割だったんだと思いました。
祖母が倒れて入院しました。もう、手術しても体力が耐えられるかどうかわからないし、手術しなければ残りの命は少ない、と医者に言われました。死ぬかもしれないけど手術するか、残りは少ないけれどそのまま薬で誤魔化すかを、父が選ばなければなりませんでした。
父は混乱しましたが、混乱を分解して選ぶ方法を少し学んだ私がサポートすると少し落ち着きました。結局手術をしないで最期の時を迎えるまで入所できる施設に入ることにしました。
祖母が入所してから、何度もお見舞いに行き、最期が近くなった時には泊りで行ったりしました。
その時に全部いいことばかりだったわけじゃないけど、泊りに行くことが嫌じゃない自分になれていてよかったと、思います。
足が冷たいと訴える祖母に、頑張って椅子に座ってもらって足湯したら喜んでくれて、祖母はその時ボケていたから「あなたもお仕事大変ね、ありがとう」と言われました。喜んでもらえてうれしかったし、「仕事じゃないから大丈夫だよ、私はあなたの孫だよ」と笑いながら伝えました。
驚く顔も可愛かったです。
私は、この頃にはもう父と母のことを愛していると認めていたし祖母のこともこうしてただ仲良く出来たらよかっただけだったのに、もっと前から色んな事が歪んですんなり仲良く出来なかったんだと解っていました。私にはまだ父と母との間で起きた誤解を解く時間が残されているけど、父には今生の母との時間が残されていませんでした。だから私はほんの少しでも、ふたりが近づくことを望みました。
「お父さんもおばあちゃんのところへ泊りに行ってみたらいいよ」って伝えてみたこともあるけど父はその時は拒んでいました。
祖母が旅立つ前日の夜、父が祖母の手を握りました。祖母を怖がっていた父が、祖母の手を握ったことが私は心から嬉しくて、あぁこのために私はここに帰ってきたんだなぁと解りました。
祖母が旅立ってからも、HITグループのコミュニティへ呼びかけたらたくさんの人にホールドしてもらえて、愛を感じました。
自分にとって心が寂しく感じたその時に、愛で支えて欲しくて、心がへにゃっと崩れずに支えられた感覚になりました。
これは私を癒していただいた話であり、私が私を癒した話であり、祖母や父や家系に繋がっていた話。
今では私が支えてもらってきたように、人をサポートしたいと思っているし、どうしたら自分の本質で生きていけるか模索しているし、この時よりもずっと自分は強くなったと感じます。
この時に逃げずに自分と向き合ってよかった、向き合えてよかった、と心から思います。
このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : キャラクトロジーマスター、その人の存在、ヒーラーさん、カウンセリング、プロセスグループ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 接客業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 吉田美穂、坂井素子