キャラクトロジーで人生変わった!

大野智子(岐阜)ー我が子や家族、そして自分の人生を本当の意味で愛していると感じられるようになりました

大野智子

大野智子
子育てグランドマスター
恋愛グランドマスター

1974年北海道生まれ。小学校6年生のとき両親が離婚。母と姉とともに母の実家のある岐阜に移る。
短大卒業後に入社した証券会社では東海地区・全国で表彰されるほどの成績を上げ、さらに結婚・出産後ネイリストとしてスタートしてからは口コミだけで人気が広がり、予約の取れないネイリストとして多忙を極めるが、その影で「いい人」「よき母親」を演じ続ける自分に疲れ果て、外面的な「順風満帆な人生」と内側の極度のストレスとの葛藤に苦しみ続ける。

勉強が大好きだった幼少期

幼少期、父は高校の先生、母は着付の師範という家庭で育ちました。母は、PTA会長を引き受けてしまうような、キャラクトロジーでいうリジットがとても強い人。私はといえば、当時、体が弱かったので外で遊ぶことやお友達と遊ぶことも制限されており、大好きだったことは勉強で、暇さえあれば勉強しているような子でした。

小学校5年生の冬、母は私と姉を呼び、父と離婚すると私たちに告げました。仲の良い両親だと信じて疑わなかった私は大きなショックを受けましたが、その気持ちを隠し、「お母さんがそれで幸せなら私は賛成だよ」と笑顔で答えたんです。「感情を感じる」ことを私が閉ざしたのは、この時からでした。

母の実家である岐阜に引越したのは6年生の5月という微妙な時期であったにも関わらず、転校してすぐに友達もできました。「北海道から色の白い転校生が来た!」と話題になり(笑)、中学校に上がる頃には地元の子と変わらないくらい友だちも増え、楽しく過ごしました。高校は私立の女子高の特待生になり、自分のお小遣いは喫茶店のアルバイトで稼ぎ、母子家庭の家計を助けていました。
高校を卒業後は名古屋の短大に進み、コミュニケーションと心理学を学びました。チンパンジーの非言語コミュニケーションの研究や、街で人間ウォッチングをして心理分析など、かなり興味深かったことを覚えています。興味があったのに私は卒業後、心理学の道を選択しませんでした。なぜかというと、その当時の心理学の領域では「自分自身の抱える問題を解決できる!」という実感が持てなかったからです。

バリバリの営業ウーマン

私が就職した頃は、ちょうどバブルがはじけて “就職氷河期” と言われた時代だったのですが、私は母の知人の縁故で証券会社に入社することができました。そして、採用した上司の「なんだかおとなしそう。弱々しくて営業には向いていないかもしれない」という予想を見事に裏切り、私、バリバリの営業ウーマンに育ってしまったんです!
最初の頃は、顧客に手書きのDMをひたすら送っていました。それは電話をするのが苦手だったからなのですが、しばらくするとお客さまが「こんなお手紙をくれるのはいったいどんな子なんだろう?」と会いに来てくださったり、お電話をくださるようになって。それからは、ただ、お客さまと世間話をしたり、ご家庭のお悩みなんかを聞いていただけなのですが、そのうちお客さまの方から「で、何を勧めたいの?」と聞いてきてくださるようになりました(笑)。

それでも、その当時の証券業界はバブル崩壊後、連日、株価が最安値を更新し、お客様からはクレーム相談が相次ぐ環境。精神的にギリギリの状態が続いていたこともあり、夜は仲間の営業マンたちと飲みに行くため残業をし、結果、仕事が進む! そんな日々を過ごしていました。そうしているうちに営業成績もグングン伸びて‥‥‥あの頃は本当に仕事にのめり込んでいました。どのくらいのめり込んでいたかというと、東海地区や全国で表彰されたこともあったほどです!

出逢って半年のスピード婚

そんな中、23歳のとき、友人の紹介で出逢ったのが今の夫です。出逢って半年後には結婚していました。それも、母から「今付き合ってる人、婿養子にきてくれないかしら?」と言われ、何気なく彼に聞いてみたら二つ返事で「うん、いいよ」と。付き合って何度目かのデートがすでにハウジングセンター、というスピード婚で、プロポーズも結納直前に慌ててしてもらったという(笑)。

結婚後しばらくは証券会社の仕事も続けました。営業成績がコンスタントに良かったので、上司に「辞めるつもりじゃないわよね?」と諭されて‥‥‥。実は、当時の私は結婚したら「仕事よりも家庭を大切にしたい」と思っていたので、仕事を続ける気持ちはなかったのです。そのため、出来高制・定時退社可能な総合職への異動を条件に、仕事を続けることにしました。

産休・育休を取得しながらの仕事の実績

そして27歳のときに、この会社の総合職初となる二年の産休・育休を取得し長女を妊娠・出産。4年後には再度二年の産休・育休を取得し長男を出産しました。 当時、総合職の営業は出産しても2ヶ月から長くても半年で復帰する、というセオリーがあったのですが、それを打ち破り、二年の育休明けに再度営業職に戻りました。息子がお腹にいるときには新高輪プリンスホテルで開催された(当時、小泉さんが御用達のお宿として話題でした。)全国優績者パーティーに参加したこともあります。営業職が二年もの長期育休を取得しても復帰できる! という実績を会社に残せたと思っています。

幼いうちに父親と離れる生活だったためか私は年配の男性が苦手だったため、基本的に女性のお客さま、マダム層を担当していました。長年、この会社で日々多くの女性客のお悩みに耳を傾けてきたことが、その後のネイリストとしてのキャリアでも活かされていると思います。

ネイリストへの一歩

ネイリストの資格を取ったのは息子の育休中のことです。きっかけは、友だちのウェデングネイルをしたネイリストさんの一言でした。その方のサロンに月に一度、当時赤ちゃんだった息子を連れてフットネイルをしに通っていたのですが、その先生が遠方にお引越しされることになって。髪を振り乱すほど必死で育児をしていたあの頃、月一のフットネイルだけが私にとって唯一の女性らしい楽しみで、それがなくなるなんて考えられない! どうしよう! と困っていたら、その方が「ともさんはネイリストに向いていますよ」と仰って‥‥‥友だちからも、「そういえばあなたは高校生の頃、いつも爪やすりを持っていて爪の形を整えていた」と言われ、ちょっとネイルを学んでみたらこれが楽しくて! 本格的に学び始めることにしました。

私、凝り性のオタクなので(笑)やり出すと楽しくて止まらなくて、毎晩のように夜中までネイルを触っていたんです。するとそれを見た夫が、そんなに一生懸命練習しているのなら、と自宅の一室を改装し、ネイル用のお部屋を作ってくれて。学ぶ傍ら、そこで友だちにネイルをしてあげていたら、友だちの友だちからもご依頼をいただくようになり、徐々に口コミが広まって、いつの間にかネイリストが私の仕事になっていたというのが正直なところです。

好きなことを仕事にできて、口コミでどんどん広がり、ありがたいことに新規のご予約をお受けするのが難しいほどお客さまが来てくださるようになって‥‥‥大好きな仕事で不思議なくらい毎日が忙しくて、夫も協力的で。
ここまで読むと、「なんて理想的な!」と思われるかもしれません。でも、内側は苦しくてたまりませんでした。忙しくなればなるほど、それに比例するように私の内側では言葉ではうまく表現できないイライラが募っていったのです。

順調な仕事とは裏腹の葛藤

朝、子どもたちを託児所や幼稚園に送り出してから、夕ご飯の支度までしてお客さまをお迎えし、午後のお客さまの施術が終わったところで子どもを迎えに行き、おやつを食べさせ、習い事に連れて行く。お迎えに行き、今度は夕ご飯を食べさせてお風呂に入れる‥‥‥

私は、毎日この環境を作ることに必死でした。子どもが可愛いとかよりも、とにかくスケジュール通りに完璧に時間をこなすことだけが私にとって重要で。お仕事をすればするほどお客さまに来ていただけるようになり、午前も午後も、さらに夕方も夜もご予約が入るようになっても、それとは関係なく子どもはぐずったり熱を出したりします。今思えばそんなことは当然なのですが、当時は、「もう、いい加減にして! ちゃんと計画通りにやらせてよ!」と思い、苦しくてたまりませんでした。

はたから見たらお仕事も順調で本当に恵まれている人のように見えていたと思います。でも私、本当に苦しかったんです。常に「ちゃんときちんと」やろうとする自分、常に「いい人」でいようとする自分‥‥‥ストレスがマックスになると子どもの前で爆発してしまったりして、そんな自分をどうにかしたいのに、どうすればいいのかがわからない状態でした。なんとかしたくてありとあらゆる育児本を読んでみたり、啓発本をかたっぱしから読んでみたり。なにせオタクですから‥‥‥ その数は、50冊は優に超えるでしょうね(笑)。

子ども達との関係の変化

そんなとき、一人のお客さまが「おもしろいブログを見つけた」と教えてくれたのが、『西の魔女のブログ』。山本美穂子先生が個人で書かれていたブログです。忙しくてじっくり読む暇もなかったのですが、なんとなく興味を惹かれ、一度講座に参加。

それからしばらくして、美穂子先生が、そのお客さまを通してネイルの予約を入れてくださったんです。それから定期的に通ってくださるようになり、施術の間、色々な話をしていただきました。
とても印象に残っている出来事があります。美穂子先生の施術の最中に下の子がぐずりはじめ、仕事中だからと相手にしなかった私に、美穂子先生が「ネイルは忘れて、お子さんを膝に乗せてあげて。ぎゅっとハグしてあげてください」と仰ったんです。「仕事中なのに‥‥‥」と思いつつも言われるがままに息子を抱っこしたら「私がいいと言うまでぎゅっとしてあげて。ただお子さんと向き合ってあげて」と。

驚いたことに、しばらくそうしているうちに、息子が自分から私の膝を降り、手を洗って宿題をすると言って出て行ったんです! その間、ほんの1~2分だったと思います。この出来事以降、息子との関係性が激変しました。

それまで、どこか他人の子を預かっているような感覚だったのが、本当に息子と心が通じ合っていると感じるようになったんです。
男の子は年頃になると母親と話さなくなる、と言いますが、息子はツンデレだけど今は日々いろいろと私に話してくれます。

また、娘は、私が子育てキャラクトロジーを学びに行ったまさにその日に、ずっと娘に嫌がらせをしていたお友達に勇気を持って自分から「No」を言うことができました。

実は、最初にキャラクトロジー心理学を学び始めるとき、この講座に申し込んだはいいもののなかなか夫に言い出せずにいたんです。「夫と子どもを置いて泊まりで数日出かけるなんて!」と自分をひどくジャッジしていて。結局、講座前日に思い切って打ち明けたところ、夫は、拍子抜けするほどあっさりと「行ってくれば?」と言ってくれました。

そのとき、自分に制限をかけていたのは夫でも子どもでもなく私自身だったということに気づいたんです。娘が「No」を言う勇気と強さを持てたのは、その直後のことでした。私が変わることで本当に子どもも変わるのだ! ということに感動し、また驚きました。

キャラクトロジーを知れば人間関係がうまくいく!

ありとあらゆる教えを学んできたからこそ分かるこの感覚、「これは、本物だ!」。
だからこそ、本当に自分が変わったキャラクトロジーを、多くの人に伝えていきたくて、子育てキャラクトロジーと恋愛キャラクトロジーでグランドマスターの資格を取ることにしました。子どもとの関係においても人との関係においても、うまくいかない仕組みもうまくいく仕組みも、すべてキャラクトロジーの中にあるんです!

キャラクトロジーを学んで、自分が変わり、我が子との関係性が変わりました。私、実は若い頃から子どもが苦手だったんです。だからこそ我が子にどう接すればよいのかがわからず、学生時代に学んだ心理学をもとにものすごく考えて考えて育児に挑んだんです。でも、結局のところそれは自分の理想をただ押しつけてしまっていたんです。キャラクトロジーを知るまでは。今では、娘との時間も息子との時間も私にとって本当にかけがえのないもので、一緒にいるだけでとろけそうな甘い愛に包まれます。

「私は今、幸せだ」って心から感じることが出来るんです。「愛しい」という言葉の本当の意味とその感覚を初めて知りました。
もちろん、夫との関係性も変わりました。「老後、この人とどう過ごしていくのだろう‥‥‥」などと時々頭をよぎることもあったのですが(笑)、今では一カ月に一度は二人で食事に出かけたり、ショッピングに出かけたり、やはり共に過ごす時間を大切にしたいと思うようになっています。 熟年離婚の危機解消にも、キャラクトロジー心理学をお勧めします(笑)。

自分がブレずにいられることで内側から愛が溢れてくる

そして今、私は様々な体験を積極的にしていますが、どんな場所でどんな人と会っても、怖いと感じることはありません。
それは、私自身が本来の自分からブレずにいられるようになったことと、その人その人の在り方を尊重できるようになったこと、相手がどんな選択肢を選んだとしてもそれを理解し受け入れることができるようになったからだと思います。自分の物差しに人を当てはめ、その中だけで人を見ることがなくなったんです。そうしたら、家族に対してもお客さまに対しても、また私を取り巻くすべての人に対しても、本当の意味で自分の内側から愛が溢れてくるのを感じられるようになりました。

そして、それを感じ取って私について来てくれるクライアントさんは、もはや家族のような存在です。自分自身で、感じ・見つけ、そして、紐解く勇気をもって一歩を踏み出したクライアントさんの笑顔が、私にとって一番の報酬です。
彼らが、一歩一歩、たどり着けたその瞬間、瞬間に感動しています。

もちろん、人は新しいことにチャレンジしようとするとき、今までと違う方法を取ろうとするとき、「怖い」というイメージにとらわれ、遠回りしたり感情的になることもあるでしょう。「そんなもの、私には必要ない!」「心理学なんて興味ない」という方もいるでしょう。
実は、私自身が美穂子先生にずっとずっとお話をうかがい、「キャラクトロジー心理学を学んでみたい」と言いながらも、その一歩を踏み出せず行ったり来たりを長年していたんです。だからこそ、同じように遠回りする方々を愛を持って見守ることができるのです。
そして、私自身もクライアントの皆さんと共にまだまだ学び続け、きっと、まだまだ進化していくことでしょう。
ここまでの道のりを、愛を持って見守ってくださっていた美穂子先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

「自分が変わる、周りが変わる、世界が変わる」を、一人でも多くの方に体感してほしい。
一人でも多くの方の「愛ある人生をナビゲート」したい!
心から、そう思っています。

 

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