【エントリーNo.054】
黒木 啓子
作品タイトル : ピアサポート ~共に支えあうこと~
妊娠したらだれもが元気な赤ちゃんを産めると思っていた。
どうしてこんな悲しいことが私に起こるのだろう。
17年前30週の妊婦健診で訪れた産婦人科で「赤ちゃんの心音が止まっている」
と医師から告げられた。信じられない気持でその後どうやって自宅に帰ったのか覚えていない。その夜は一睡もできず「ちゃんと生きているよね ほらここを蹴ってごらん」心の中で何度もお腹の赤ちゃんに話しかけた。
翌朝、紹介された総合病院で診察を受けるとやはり赤ちゃんの心音は動いていなかった。
「この週数だと陣痛促進剤を使い出産し赤ちゃんをお腹から出してあげないといけない。」
そう告げられた。産声のない亡くなった赤ちゃんを産む、想像すらできない宣告であった。赤ちゃんと離れたくなくて、現実を受け入れられなくて入院した病室で窓から見える空をみては「ここから飛び降りたら赤ちゃんと一緒に死ねるかな」そんなことをずっと考えていた。
産んであげること、それが母親として赤ちゃんにしてあげられることだ。
なんとかそう気持ちを切り替えてギリギリの精神状態で出産を終えることができた。
小さな赤ちゃんはただ息をしていないだけで抱っこして顔をみると夫似のとてもかわいい女の子だった。そして「やっぱり泣かないんだ」死産であることを理解した瞬間だった。
出産後は周りに迷惑をかけないように、つらい気持ちはだれにも話せなかった。無理やり笑顔を作り大丈夫なフリをしていた。
病院では腫れ物に触るような扱いであったし、赤ちゃんを火葬する際は自分で用意をしなければ薬の空き箱に入れて渡すと言われた。
今では考えられないことではあるが「死はないものとして扱う」当時は多くがこのような対応であった。
空き箱に赤ちゃんをいれることが耐えられず、病室から葬儀社に電話し必要なものを持ってきてもらった。その中で骨壺を包む覆い布がピンクのかわいい絵柄のものであることに気がついた「女の子だとお聞きしたので」と葬儀社の担当の方が急いで作ってくださったと聞き優しい心遣いがとてもうれしく、これが私の初めて受けたグリーフケアだった。
退院後、空っぽになったお腹と心は世界から色を無くし、音楽を聴くと息ができないほど
苦しくなった。行政にも病院にもどこにも相談する場所がなく、インターネットで「死産」と検索しては同じような経験をした人を探した。赤ちゃんを亡くした方が集うHPにたどり着き掲示板に書き込みをするとたくさんの同じ経験をした方と繋がることができた。ただ私の住む地域の方は一人もいなかった。
そんな毎日を過ごしていた時、関東の方が4月からご主人の転勤でこちらに住むことになったとメッセージをもらった。私より少し前に死産をされた方で落ちついたらお会いしましょうということになった。
同じ頃、知人の紹介でもう一人県内の方で赤ちゃんを亡くされた方と繋がることができた。私たち3人は頻繁に会っては涙を流しながらたくさんのことを話した。
毎回泣いて、笑って、愚痴を言ってただそれだけのことではあったが、経緯は違えど赤ちゃんを亡くすという同じ経験をした二人からは寄り添うこと、寄り添ってもらうことの大切さを教えてもらった。この二人と出会いがなかったら私は今きっとここにはいないだろう。
「私たちは3人で繋がれてこうして少しずつ前向きになることができた。
他の方はいったいどうしているのだろうね」そんなことをいつしか話すようになった。
専門家ではないけれど同じ経験者として話を聞くことはできるのではないか。
そして立ち上がったのが「宮崎天使ママの会」ピアサポートのスタートだった。
16年前に立ち上げ、細く長く必要な時に寄り添える会でありたいと現在まで活動を続けている。
関東での病院の死産後のケアを聞き、私の住む地域でのケアとの違いに大変驚いた。
悲しいお産をし辛い思いをした母親が医療者や行政の担当者からの何気ない言葉や行動で傷つくことが無いように少しずつ皆の意識を変えていくように促した。今ではそうした方々と一緒にセミナーを開き、共に学び必要な時には病院、行政、私たちと連携して赤ちゃんを亡くされた母親に寄り添うこともある。
我が子を亡くすことは自身の身を引き裂かれるようにつらく悲しい。そのつらい悲しみは年月とともにうまくフタをすることができるようになると思う。
命日や記念日にはそのフタをそっと開けて気持ちを確認し、自分で寄り添うセルフケアを自然とおこなえるようになった。そうやって一年一年積み重ねてきて今がある。
失ったものはとても大きい、だけど娘がつなげてくれたご縁と必要とする方がいる限りピアサポート、同じ目線で共に寄り添いたいと思う。それが私自身のグリーフケアもあるのだから
このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 同じ経験をされた方
【作品応募者について】
どんな職種・お仕事をされていますか? : ボランティア団体(ピアサポート)代表














そもそもエッセンス(良いところ)の塊である私たちは、幼い頃のささいで偶発的なできごとや繰り返し体験するできごとを通して、自分のエッセンスを悪しきものと誤解してしまいます。残念ながらこの誤解は成長の過程で避けることのできないもので、ゆえに私たちの誰もが、違った体験から同じ傷を持ち、その強さや深さ、体験の内容の違いが人格となって現れます。ただ、ここで注意すべきなのは、現在の人格は「本来のエッセンスを悪しきものと誤解した」状態のものだということ。
私たちは誰しも、この世に生まれ育ち、大人になってから今までの全ての経験に基づいて現在の選択のすべてをおこなっていますが、「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、さらにその根幹を成すのは子どもの頃の環境や体験です。
この世に生まれ、誰かを好きにならない人はいません。そして、好きになればなるほど悩むことや傷つくこと、腹の立つこと、悲しくなることも多くなるものです。なぜなら私たちは、恋する相手に幼い頃両親とのあいだに起こった満たされなかった体験を無意識に投影しているからなのです。
自分と自分以外の人を分ける目には見えない境界線、それをバウンダリーといいます。
自分でも薄々おかしいと感じているのに、反射的にカッとなったりパニックになったり頭が真っ白になったりしてどうにも止められなくなってしまうのは、脳内にその反応の“回路”ができてしまっているからです。BTSは、HITオリジナルヒーリングの中で唯一、これ単体で学び身につけることのできるヒーリングスキルで、脳内に新しい神経回路をエネルギー的に構築することができます。
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ヒーリングとは、わかりやすく言うと、オーラフィールド(オーラボディ)のお風呂のようなものです。
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