ハートインタッチアワード2021
こころのレスキュー大賞ノミネート作品
【エントリー76】田口 とも(たぐち とも)
エピソード
私が彼と言葉を交わしたのは、10時間のみ。
10時間なんて、半日にも満たない。
それでも彼は、「先生が寄り添ってくれて、救われた」という。
私たちはいつも、ある拘置所の面会室で顔を合わせた。
彼は、身近な他者を殺めてしまい、逮捕、勾留中の身だった。
犯行自体は認めているものの、反省や後悔の姿勢を見せない彼の問題性を感じた担当弁護士より「ちょっと話を聞いてあげてほしい」との依頼があり、面会する運びとなった。
許されたのは、1回1時間。数ヶ月に渡り10回の実施、合計10時間。
私は仕事柄、警察署や拘置所で被疑者・被告人と面会することには慣れている。
それでも、彼との初めての面会に向かう私は、鼓動の速さを自覚していた。
事前に弁護士から渡された大量の事件資料に目を通すうち、「怖い」という感覚を抱いていたからだ。残忍な事件を起こすような人となりが怖いという意味ではない。普通の人が普通でいられなくなったストーリーを目の当たりにすることに、恐怖を感じた。
初めて会った時の彼の目は、鋭かった。
きっと私も同様に、穏やかな目ではなかっただろう。「ちょっと話を聞きに行く」目的のはずが、緊張に満ちていた。
ゆっくり、ぽつぽつと話をして、いくらか時間が経った頃、気づくと私も彼も涙を流していた。面会室に、静かな悲しみがじんわりと広がっていく。
彼はどこか強がったような発言をしがちだった。鋭い目で憎しみを剥き出しにしながら、その奥深くには、胸を締め付けられるほどの「寂しい」というメッセージがあるように感じられた。
「寂しい、苦しい」と言えず「寂しくない、苦しくない」と思い込もうとして、気性は荒れ、言動も粗暴になっていく。普通だった彼が普通でいられなくなった過程には、果てしなく寂しさが漂っている。だから、泣いていた。
そんな彼に私ができることは限られている。改めて資料を読み込み、犯行現場となった地へ足を運び、私は考えた。特別なことや権威的なことではなく、基本的だけど大事なことに辿り着く。私がすべきは、寂しさを吐露しても大丈夫な相手だと思ってもらうこと。強がる必要のない相手だと思ってもらうこと。
この思いを胸に2回、3回・・・と面会を重ねた。
彼は「もう鎧を脱いでもいいかな」と、私の前で武装をやめた。
「恨みの気持ちも嘘ではないけど、寂しかったという表現の方が合ってる」と、奥深くに隠し続けた気持ちを、そっと取り出せるようになった。
そして何より、被害者・ご遺族に対する謝罪の念も、自然と湧いてくるだけでなく、それを丁寧に言葉にしたり、どうしようもなく苦しみ続けたりした。
約20年間の服役を前に、彼は「そこにある救いの手に気づけなかったのは、自分が強がっていたからだ」と振り返り、「寄り添ってくれる存在がいることを教えてくれて、ありがとう」と深々と頭を下げた。?をつたう涙に、嘘はない。
私は、このあたりで任務完了。
「寄り添う」なんて言うのは簡単だけれど、どう振る舞うことを意味するのか、正解は分からない。でも、たった10時間、どんなに小さな心の動きも大切に過ごすことで、彼に「救い」のきっかけを渡せたのなら、私も救われる思いだ。
このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 臨床心理士・公認心理師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦