河野美有紀(愛媛)
ベーシックグランドマスター
10代後半から摂食障害を伴う鬱病を発症、20年に渡って食べ吐きや拒食過食に苦しむ。
同じ頃、ある男性と運命的に出会うことで、心の学びの道を歩み始め、やがて自分が癒されるたびに彼との関係も深まってゆくことを知る。
目次
“だから私はダメなんだ”
オーラルの傷
母は父と結婚するときに退職しましたが、両親ともに銀行員という、いわゆるリジット的な家庭に長女として生まれました。両親は、世間一般に正しいとされていることが普通にできる真面目な人たち。両親のようにできない私はすごくダメな存在なんだと信じていました。2歳下に妹がいるのですが、私は「お姉ちゃんだからちゃんとしなさい」と言われるばかりで甘えさせてもらえないのに、妹はただいるだけで可愛がられ甘やかされ、何をしても受け入れられているように子どもの頃は感じていて……私のオーラル気質は、赤ん坊の頃、母の母乳の出が悪かったということもありますが、それに加えて、このような妹と自分との比較に端を発しているように思います。
小学校の頃は酷い喘息持ちで学校を休むことが多く、さらにいじめにも遭っていたので学校に行くのが辛かったですね。親にそのことを話しても、「お前にも悪いところがあるんじゃないか」としか言われず、誰も自分のことをわかってくれないと絶望していました。小学校高学年になると、近所にあるマンションの最上階に上っては下を眺めて泣いていました。本気で死のうとはしていないけれど、死ぬことを意識しながら生き延びていた感じです。さらにこの頃、チェルノブイリの原発事故を通して日本の原発問題を知り、それに伴う“利権”という言葉を知り、日本の社会、日本という国にも絶望していました
摂食障害、その後鬱病を発症
中学生になると運動部に入ったり生徒会の役員をやったりと少しは活発になりました。マゾキストも強いので、“目標を持って生きる”ということがなく、漫画やアニメ、読書やゲームが好きという趣味は自分にとってとても大きな救いだったのですが、それ以外のやりたいことが全くわからなくて。「あれをやったらどんな感じなのかな」「あの仕事ってどうなのかな」とか、ただふっと親の前で言った時に、その気持ちに興味を持ってくれたり肯定してくれるのではなく、それに対して「あれは(お前には)大変な難しいことだ」という感じで教えられてきたので、じゃあ私なんかにはできないな……とすぐに諦めていました。将来のビジョンも持てず、夢も持てず、学校を休みがちだったので、成績も悪くなっていき少しずつ落ちこぼれていく感じで、「だから私はダメな存在だ」という思いがどんどん強くなっていった時期でもありました。
そんな状態だったので、高校進学も自分の成績で狙える可能性のありそうなところを「合格したらスーパーファミコンを買ってあげる」という母の言葉につられて受験し無事受かったのですがそこは商業科で、通い始めてみてから、「これは自分が興味を持てない、むしろ遠ざけたかったことだった!」とやっと理解できたという(笑)
学校に何も見出せなくなってしまい、5月の時点からその一年間休学。留年してまた1年生から始めて、保健室登校・職員室登校などの対応もしてもらっていたのですが、秋口には“ど”がつく鬱病になり全く動けなくなってしまって。ほぼ同じ頃から摂食障害も始まっていたので自分で精神科の病院を探して通院し始めました。その後親が見つけてきた通信制高校に編入し、高校を卒業したのは二十歳の時です。
運命の出会い
「この階段を上ったら、私の人生が大きく変わってしまう事が起きる」
18歳くらいの時のことです。私の人生の中で、多分一番異常な出来事が起こりました。
あるイベントに出かけた時のことなのですが、会場の建物の下で突然、「この階段を上ったら、私の人生がすごく変わってしまう事が起きる」と直感的に思い、動揺してしばらくの時間その階段を上ることができませんでした。
でもその階段を上らないと楽しみにしていたイベントを観ることができない(笑)ので意を決して上ったら、そこに《彼》がいたのです。
もう、それ以降の数年間、寝ても覚めてもずっとその人のことばかり考えている状態になってしまいました。完全に取りつかれているような感じで、とても荘厳でスピリチュアルな感じの明晰夢を見るようなことも起こったり。彼は、クラブDJ・ラジオのパーソナリティ・ショップ経営をやっている、お洒落で、カルチャーの先端にいるような街のカリスマ的な存在で……その頃の、全くセンスがなかったおかしな格好の自分が(苦笑)彼を追っかけるために毎回かなり勇気を出しながら、お洒落な場所に出かけて行って。そうやってバーやクラブやライブハウスに行くうちに、私も音楽やカルチャーに目覚めていきました。自分でもレコードを買ってDJのまねごとを始めてみたり、クラブで夢中で踊って癒されたり、ライフスタイルにも彼の影響をすごく受けましたね。
ただ、関係性としてはずっと片思いでした。それが辛くて毎日号泣していたんです(笑)。会えれば嬉しくて号泣、会えなければ悲しくて号泣、みたいな。本当に異常でしたね。自分でもこの状態はさすがにおかしいよね? 何が起こっている? と思いながらも、でも止められなくて。彼以外の人と付き合ったこともあったのですが、彼との関係性の中で起こってくるようなことは他の誰とも起こることはありませんでした。それが本当に不思議で。「なぜここまでのことが起きているのか、その理由を知りたい」というのが、スピリチュアルなことや心のことに興味を持つようになったそもそものきっかけです。
崖から突き落とされるような一目惚れから
その人のことをほとんど何も知らないままに、こうして私はまるで崖から突き落とされるように強烈な一目惚れをしたわけなのですが、その人のことは、好きになってから後追いで知っていきました。彼の影響で、音楽やカルチャー、ファッションに目覚めていったのに、近づけないことが苦しくて苦しくて。誰と恋愛してもその人のことが頭から離れることはなかったし、加えて、ちょうどその頃、母との関係が本当に悪くなっていてしんどくて。自殺しようと思っていたものの、初孫として可愛がってくれた祖父母が生きているうちは、その日暮らしでいいからとりあえず生きておかねば……と思い直し、死ぬのを思いとどまっていたような感じです。そして、誰も私のことを知らない土地に行きたかったということもあり、23歳の時、東京に出ることにしました。鬱や摂食障害も引きずったまま9年ほど東京で暮らしました。東京時代の前半は、自分も周りの人達も社会的にドロップアウトしているような環境に身を置いていたのですが、そんなアウトローな感じの生き方しか自分にはできないと思っていました。後半は役者やミュージシャンの知り合いも増えていってサブカルオタク的には非常に充実もしていたし(笑)その時代の東京を味わう事ができたのは人生の貴重な体験だったし、社会勉強にもなったと思います。ただ、自分の心の取り扱い方や「バウンダリー」がよく分からないままだったので、いろいろ上手くいかず、身体も心もさらに病んでしまい、すべてを無くして愛媛に戻りました。後にこの人生パターンが、オーラル+サイコパスのあるあるパターンだと知ることになります……(苦笑)。
癒しの道を歩き始める
東京時代の後半に、“気”を使ってヒーリングをしている人と出会い、その方にサポートしていただいていたのですが、愛媛で新たに知り合った方からレイキヒーリングを学ぶなど、本格的にスピリチュアルなことや心のことに目を向け始めたのは、東京から愛媛に戻ってきてからですね。ヒーリングなんて特殊な才能を持った人しかできないと思っていたのが、私にもできるようになるの? と、純粋にヒーリングに興味を持つようになったのはこれがきっかけです。
ただ、きちんと仕事に就くということはできず、抑うつ的な性格や摂食障害も変わらずで、このままだと生活保護を受給しないと生きていけないのでは……と、ずっと将来に不安を持っていました。普通に働いて生きていく自信もないし、やりたいと思うことも、やれることもないと思っていました。でも、件の彼がまだ独身だったので、私はきっと彼と向き合うことになるのだろうという確信めいたものが魂の内側にあることだけは不思議と直感的にわかっていました。
実は私、量子力学を使ったある変容のメソッドをドイツにまで学びに行っているんです。マトリックス・エナジェティクスというのがそのメソッドで、プラクティショナー養成コースを受講して資格を取りました。このメソッドのセミナーが2012年に日本で開催されたのですが、美穂子先生とはこのセミナー会場で初めてお会いしたんです。ヒーリングに興味を持って以来BBSHに憧れを抱いていたので、美穂子先生がBBSHの卒業生だと知り、またそのただものではない感(笑)からもどんな人だろう? 何をしている人なのだろう?と興味を持っていました。
キャラクトロジーとの出会いで彼との関係性が変わった
心のことを学ぼうと決めた最初のモチベーションは、恋愛に役立てたかったからです。彼との関係を進展させたかったし、自分と彼との不思議な関係性を紐解きたかったのです。
そのうち、美穂子先生が私の住む愛媛でキャラクトロジーの講座を開催することになり、共通の友人から講座のお手伝いに誘われました。キャラクトロジーが何かも知らないまったくまっさらな状態で地元での体験会に参加。目には見えないエネルギー的なコミュニケーションの存在を知り、また、バーバラ・ブレナンの本で読んだ理論を実際にどう現実生活に落とし込んでゆけばいいのか、それを美穂子先生が教えてくれることに驚き、これは学ぶしかない!と。それからは東京まで美穂子先生のワークショップを受けに行ったり、また現在のキャラクトロジー心理学1Day講座の前身である「身体とこころとオーラの体験型心理学講座」という半年講座も受講し、キャラクトロジーを通して自分を知るための学びを続けていきました。こうして学び、自分を少しずつ癒してゆく中で、彼との関係性も少しずつではありましたが確実に進展していったのです。
人生のテーマが明確に
関係性と真剣に向かい合う
キャラクトロジー心理学を学ぶ人がどんどん増え、協会が立ち上がり、私もSAS(セルフアウェアネス・スキル)やSTS(セルフトランスフォーメーション・スキル)、CCT(キャラクトロジー・コーチングテクニック)、BTS(ブレイントランスフォーメーション・ヒーリングスキル)を身につけたり、ヒーラーの資格、またマスター講師の資格を取ったりと、キャラクトロジー心理学を中心とした心の癒しのスキルを身につけていき、自分を癒せば癒すほど彼との関係は親密になってゆきました。
つまり私が癒しの道を歩き始めるきっかけも、学びを続けるモチベーションもどちらも《彼》なのです。彼との関係性の中で一体何が起こっているのか、なぜ私はこんな体験をしているのか、それが知りたい一心で私は導かれてきたように思います。
愛し続ける力
グランドマスター養成講座の時に美穂子先生が言ってくださった言葉で、とても印象深い言葉があります。
私は、彼に通算で20年くらい片思いしていました。もちろんそこに何か理由があるにせよ、「私ってしつこいな」とか「執念深いな」と自分で自分をジャッジしていたのも事実で、そのことを言った時、美穂子先生が、「それはあなたに“愛し続ける力”があるということよ」と言ってくださったんです。その言葉を聞いて、最初は意味がわからずぽかんとしていたのですが(笑)じわじわと、ああ、そういうことだったのか、と、腑に落ちてきました。私は、彼が私のことをどう思っているとか、彼にお付き合いしている人がいるとかいないとか、そういうことはまったく関係なく、彼のことを好きで愛し続けていました。自分のその“エッセンス”に私は全然気づいていなかったのです。
夢は叶えるもの
私は、叶わないもののことを夢というのだと思っていました。でも、キャラクトロジーを学んで自分の本当の姿に還ってゆく中で、夢とはどういうものなのか、夢の持ち方や見方を理解しました。
自分の本質を活かして独り立ちし、自営業者としてお金を稼ぎ、彼に受け入れてもらい、彼に愛され、一緒に住む、という、かつてはイメージすらできなかったことが、今、現実になっています。
そして私が癒されることで彼も大きく変わりました。かつてはガチガチの鎧で自分を守っていた人だったのが、女性からの愛を受け入れ、自分も愛を表現することができるようになりました。協会の理念通り、自分を癒すと相手も自然と変わることを、身をもって体験しています。
ラブ・オーガナイザー
キャラクトロジーとの出会いは、私の人生の一番大きなテーマが「愛」であることを明確に知っていくためでもありました。テーマが大きいからこそ、それを理解するまでは自分のやりたいことが漠然としていたのだな、と今はわかります。
現在私は自分のこれまでの経験を活かして、ヒーラー、心理学講師、心理カウンセラーとして仕事をしています。某SNSの公式サービスにも心理カウンセラーとして在籍、そちらでは不倫などちょっと複雑な恋のお悩みや、「ネガティブにハマってしまって苦しい」といった自分・他者との関係性で悩まれている方のご相談を多く聴かせていただいています。
私の仕事の理念は “一人一人の内側から、世界を変えていく” で、今この仕事でやっていることが、自分の夢につながっているのだと理解できるようになりました。
「内側から変えていく」は個人的な関係性だけの話ではなく、社会・世界・この世という大きな枠組みに対しても同じです。こうあったらいいのにと願っていることを“外側”から変えようとするのではなく、一人一人の“内側”を変えることでその変化を外側にも波及させていく方法を、どうしたらいいかわからず苦しんでいる人、辛い状況にある人、たくさんの人たちに伝えていきたい。
私の仕事名は「LO美有紀」のLOは、Love Organizer(ラブ・オーガナイザー)の略です。愛の専門家として、私のこのエッセンスを世界に還元し、愛で生きていきたいと願う人のサポートをしていければと願っています。