キャラクトロジーで人生変わった!

海山文美代(福岡)ー 子どもの頃からのこじらせ系恋愛依存体質が、バウンダリーを学んで激変!

海山文美代
バウンダリーグランドマスター

1975年福岡生まれ福岡育ち。
姉3人、弟1人の5人姉弟の4番目として韓国文化と日本文化が入り混じった家庭で育つ。
子どもの頃からなぜか女性から妬みを買いやすく、なぜか付き合う男性は仕事を辞めヒモ状態に。幸せが訪れたと思うと周期的に男性とのトラブルに見舞われては「なんでこうなるの? 何かがおかしい......」と悩み続ける。

姉3人×パパの自慢の末娘=サイコパス的生い立ち

生まれる前の拒絶体験

5人姉弟の4番目として、祖父母の代に韓国から日本に移り住んだ家系に生まれました。上に年のほとんど変わらない3人の姉がいます。私を含め、わずか5年の間に4人の女の子が立て続けに産まれたので、父も母もとんでもなく大変だったと思います。母から聞いた話ですが、家を継ぐ男の子をずっと望まれていた母は、私を身ごもったことがわかった時、「また女の子だったらどうしよう」と悩んだ末、堕胎しようとしたそうです。気づいた祖母に止められ、父から「産んでくれ」と懇願され、堕胎を踏みとどまり産まれたのが私というわけです。

母は一生懸命家のことをしてくれたけれど、子どもに無関心な人でした。愛情はあったのだと今となっては思いますが、私は母に心を開くことがなかなかできませんでした。姉たちがわーっとはしゃぐと、「あんたは静かにしていなさいよ」という母からの無言の圧力を感じ、家の中で自分を出すことがない子だったように思います。生まれる前に一度拒絶されたという体験が大きく影響しているかもしれません。
一方、父は4人の娘の中でも特に末娘の私のことを可愛がってくれて、出かけるとなると私を連れて歩いていたので、姉たちからの妬みと恨みもいつも身近に感じていましたね。

「可愛いからって調子に乗るなよ」

多分これは、女性の妬みを買いやすいという私のパターンの原型だと思うのですが……
小学生くらいまでは、家で遊んでいる姉たちに加わろうとすると、「あんたが家にいると面白くない」と仲間外れにされていました。また、父が家に帰ってくると、姉たちはサーっと自分の部屋に逃げていくんです。私は「お父さん、おかえり!」としたいのに、それをやってしまうと姉たちにいじめられるとわかっていたので姉たちに合わせていて、本心を出すことができなかった。それはいつも悲しかったですね。
中学校に入って彼氏ができたりすると「可愛いからって調子に乗るなよ」と同級生から呼び出され、いじめられることもありました。
そんな経験から、高校に入ると、自分の中で対女性との関係性と対男性との関係性を切り離してそれぞれ別々の世界を作り上げ、その中で楽しむことをしていたように思います。

二度の結婚とこじらせ系恋愛依存体質

22歳で最初の妊娠、結婚、出産

高校卒業後デザイン系の専門学校に進み、グラフィックデザインを学び始めました。もともと絵を描くのが好きで、高校の時は友達にからかわれながらも美術部に所属していたので、ここでの勉強は楽しかったです。そこで最初の夫と出会いました。
専門学校卒業後は補正下着のお店に勤めたりキャンペーンガールの仕事をしたりしていたのですが、1年ほど経って妊娠が発覚。22歳でした。
親への挨拶、両家の顔合わせ、結納、結婚と話はとんとん拍子に進んだのですが、実はこの頃、「私、この人のこと好きじゃない」って思って、結婚したくなくなったんです。それを一番上の姉に話したら、「愛は育むもの。結婚したら愛は育まれるわよ」と言われ、そんなもんか〜と思い結婚したのですが、最初の子を産んだら、もう可愛くて可愛くて、愛おしくて愛おしくて。そうしたらだんだん夫のことが邪魔になってきてしまって。

24歳で第2子を出産後、知らぬ間に夫が無職に

最初の夫はとにかく過剰に潔癖で、私と息子を家の中で邪魔者扱いしていた上に、立ち会い出産をしたことで女として見ることができなくなったと言ってセックスレスにも陥っていました。愛を育むどころか、だんだん憎しみしか持てなくなっていきましたね......。

長男が1才になったくらいの頃、化粧品販売店のオーナーさんに声をかけられ、息子を託児所に預けて化粧品販売の仕事を始めました。
セックスレスではあったけれど、兄弟を作ってあげたかったので、夫婦生活はいろいろと工夫して(笑)こなすようになり、24歳の時に第2子を出産。その頃になると、気がついたら私の稼ぎが夫の給料を上回るようになっていました。すると、夫が私の知らない間に仕事を辞めていたんです。たまたま通帳を見たら借金が増えていて、不審に思って問いただしたら、仕事はとっくに辞めていて半年ほど無職の状態だったと。
離婚を切り出しましたが受け入れられず、別居状態に突入。いろいろあって、離婚が成立したのは3年後のことでした。

30歳、次の夫が現れ第3子を出産するが、またも夫が無職に

この頃、女性の美をトータルでサポートする仕事がしたいと思うようになり、化粧品販売の仕事をしながらネイリストの資格を取り、美容室でネイリストとして働いたり、高級ホテルの部屋を借りてエステとネイルのイベントをしたりもしていました。

そして、次の夫が現れました。彼は9歳年下で、私は当時30歳くらい。
団地の駐車場に停めていた車に彼からの手紙が挟まっていたんです。付き合うようになり、子どもも彼のことが好きになって。1年ほど経った頃、彼の子を妊娠しました。
1回目は堕したんです。でも、またすぐに妊娠。この子は私のもとに生まれたがっていると思い、入籍、養子縁組、結婚、と今回もまたとんとん拍子に話は進みました。
でも、幸せになりそうな矢先、また問題が発生。
彼が仕事を辞めてきたんです。
新しい仕事を探すと言いながら私のブランド物のバッグを勝手に質屋に入れてお金を作ったり、その上私が妊娠7ヶ月の頃、自殺未遂を起こしました。彼の母親から連絡が入り、びっくりして病院に向かうと、借金だらけの状態になっていて......私のカードも勝手に使われていたことが判明しました。

もう、何が何だかわかりませんでした。でも、お腹の子どもは日々成長しているので、とにかく無事に産んで、生きる。それだけを考えていました。
妊娠中毒症になっていることにも気づかず働き続けていて......とにかく上の子2人にご飯を食べさせなければと必死でしたが、この頃すでに子どもたちの心も参ってきていて、でも、それに気づけないほど、私も病んでおかしくなってしまっていました。

夫の浮気、そして2度目の離婚

3人目の息子が生まれた時、彼は泣いてお礼を言ってきました。その涙を見て、これで少しは変わるかと思ったのも束の間、変わらないどころか、上の子たちがもらったお年玉が消えたり、私のダイヤのネックレスがなくなったり、家のものがどんどんなくなっていったんです。
それでも子どもたちのためにと歩み寄った矢先、今度は浮気が発覚。問い詰めたら殴る蹴るの大喧嘩になり、揉めにもめて離婚。土下座して復縁を迫られもしましたが、今はどこにいるのかも知りません。

不思議なんですが、振り返ってみると、私、どんな時にも男性が途絶えたことがないというか......いつも彼氏がいたんです。引越し代を負担してくれたりと金銭的に助けてくれた人も中にはいました。でも、なぜか家賃の滞納や電気を止められることが当たり前の生活をずっと送っていて。その辺りの感覚が麻痺していたんですね。

2番目の夫と別れた後にも彼氏はいて、とてもいい人でした。でも、幸せではなかった。
なんでこうなの?
どうしていつもこうなるの?
変わりたい。人生を変えたい。
ずっとそう思っていました。

キャラクトロジーとの出会い、バウンダリーとの出会い

究極のこじらせ女

その頃になると、上向きになったかと思えば急降下する私の人生のパターンは、さらに酷くなっていました。エステサロンを共同経営していた相手から、お客様への施術や営業を事実上全て押し付けられたり、エステティシャン養成講師の仕事がうまくいき始めたと思ったらスクールが閉鎖になったり。長男が学校で暴れて退学になったと思えば、付き合っていた男性に横恋慕していた女性からストーカー的な嫌がらせを受けたり......。

そんな状態の中、私は付き合っていた男性に精神的にかなり依存してしまっていました。可哀想な私とそんな私を守ってくれる彼、というドラマのなかにいたんです。かといって彼は金銭的に援助してくれるわけでもなく......そんな究極のこじらせ女でした(笑)。
うまくいったかと思うと、2年スパンくらいで何かがおかしくなってしまう。
こんな人生、私の望む人生じゃない。

そんな時、福岡でキャラクトロジーマスター講師として活動していた吉田美穂さんに出会ったんです。

同じ年、同じ境遇でこの違いは一体何?

昔の友達からランチ会に誘われて、最初は「ランチ会なんて」とスルーしていたのですが、ふと参加者リストを覗いてみたら美穂ちゃん(吉田)の写真があって、この人に会ってみたいと直感的に思いました。
ランチ会で話をしてみたら、年は一緒だし、彼女も息子3人のシングルマザーだということがわかって。でも私と違って彼女はすごく幸せそうで、輝いていて、仕事もバリバリしている。境遇はまったく同じなのに、この違いは何???
それが知りたくて彼女と関わり出したのが、キャラクトロジーとの出会いです。

キャラクトロジーってすごい!

私の人生のパターンも、今の彼との関係性も、この恋愛体質も(笑)、どうも私に原因があるらしいということがわかり、じゃあ、どうしたらいいのか、何が間違っているのかを追求しようとキャラクトロジーを学び始めたのですが、恋愛でのオーラルパターンに気づき、キャラクトロジーの理論をもとに実践すると、それがうまくいくわけです。キャラクトロジーってすごい! と思いました。
でも、人生が大きく変わることはなくて。経済的にも、昼の仕事では足りないので夜は宅急便やコンビニの仕分けをして稼ぎ、それでも彼が金銭的にサポートしてくれることはなく......やがて私の中で、キャラクトロジーに対する疑念が生まれました。
これで本当に変わるわけ?

そこで別の心理学のスクールに行き出したのですが、理論を学ぶのみで、キャラクトロジーではっきりと打ち出されている「こうすればうまくいく」という結論を教えてはいませんでした。それでもう一度、キャラクトロジーコミュニティに戻ったんです。

自分が本当に変わり始めたら、現実も少しずつ動き出した

タイミングよく美穂子先生が直接教えてくださる子育てキャラクトロジーと恋愛キャラクトロジーを受講、恋愛マスター講師の資格を取ったところ、付き合っていた彼への転移が外れ、実はそこに愛はなかったことに気づいてしまいました。
それでも一緒にいることは苦ではなかったし付き合いも長かったので、以前のように依存することこそないものの、しばらくそのまま関係性を続けていたのですが、ある日、また事件が起こりました。彼の恋人を名乗る女性から電話が来たんです。
今回も、実際には付き合っているという事実はなかったのですが、これをきっかけに彼とは別れました。
それからは、恋はしていません。恋愛体質なんですけどね(笑)。

夢を持ち、夢を語り、夢を実現できる私になった

その後、バウンダリー講座がリリースされ、受講した時の衝撃は今でも覚えています。
何よりもこの概念が欲しかった! と痛感し、この概念を一人でも多くの人に伝えるために、バウンダリーのグランドマスターになるという意図が立ちました。
「私なんて無理無理!」というところにずっと自分を置いていた私が、「本当はこうしたい!」という夢を持ち、思いを外に表現できるようになったんです。
子どもとの関係性が激変したのもこの頃のことです。

バウンダリーのグランドマスターの資格を取り、2021年からは、HITヒーリングスクールにも入学。
そんな矢先、膵臓に嚢胞があることがわかり、つい先日、手術に踏み切りました。
体力的にはとても辛かったですが、これは、私が今後グランドマスターとして、そしてヒーラーとして生きてゆくのに必要な出来事だったと思っています。
手術の時、全国のHITの仲間にサポートをお願いしたら、会ったことのある人からない人まで、本当にたくさんの人たちが気持ちを寄せてくれました。

このサポートを知らずに死ななくてよかった。
本当にそう思いました。
こんな世界があるってことを知らずに死ななくて、本当に私は幸せです。
これからは、自分の活動を通して、一人でも多くの人にこのコミュニティの存在を伝えていきたい。
ここにサポートがあるよ、みんなが近くにいるよ、一人じゃないよ、と、以前の私に、そして以前の私のような思いで生きている人に、伝えたい。

誰かの友達になりたい

私、九州に、ヒーリングセンターを作りたいんです。
そして、あの時の吉田美穂ちゃんみたいに、私もなりたい。
美穂ちゃんが私の友達になってくれたように、私も、私みたいな人生を送っていて、ひとりぼっちで、人生を変えたいけどどうしたらいいかわからないと思っている人の友達になりたい。
心から、そう思っています。

 

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