ハートインタッチアワード

【エントリーNo.023】すがわらえみ「バイスタンダーの私を救ってくれた SNSの言葉たち」《こころのレスキュー大賞》

ハートインタッチアワード 心のレスキュー大賞

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ノミネート作品

「こころのレスキュー大賞」は、心に寄り添った/寄り添ってもらったことで人生が変わった体験談を通して、真に心に寄り添うサポートとはどんなものかを多くの方に広く知ってもらうことを目的に設立した賞で、毎年10月に作品募集を開始、12月のHITキャラクトロジー心理学協会のイベント〈Heart in Touchアワード〉にて受賞作品が発表されます。
Heart in Touch Award 2023

ハートインタッチアワード2023
こころのレスキュー大賞
受賞作品

 

【エントリーNo.023】

すがわらえみ
作品タイトル : バイスタンダーの私を救ってくれた SNSの言葉たち

 当時、大学生だった私は、ボランティア活動で必要な救命講座に5日間参加しているところだった。3日目の帰り道、ターミナル駅の改札前で、倒れた人に遭遇し、駅員さんと手当をした。幸い、その方は軽症だったが、これが私にとって、初めてのバイスタンダー経験になった。「バイスタンダー」とは、倒れた人に偶然遭遇した人のことであり、手当の有無は問わない。医療系の大学生でもない、完全なる一般市民の私は、駅員さんに知らせることだけで当時は精一杯だった。

「遭う人は遭うし、救命インストラクターになっても一度も遭遇しない人もたくさんいるから。そういう星のもとに生まれたのかもね!これからも、きっと遭うタイプかもしれないねー」翌日、救命講習の先生に救命現場に遭遇した話をしたら、明るくこう言われた。その時は「そんなものかな…」としか思っていなかったが、案の定、私はその後、10回以上のバイスタンダー経験することになり、心臓マッサージなどが必要な心停止が疑われる状況も何度か経験した。

 最初に、心臓マッサージをすることになったのは、大学3年生だった。サークルの帰り道、大学の最寄駅ホームで倒れた男性に遭遇した。私が気づいた時には、既に倒れてから、かなりの時間が経過しており、119番通報はしてあったものの、誰も手当をしていない状態だった。駅員さえも何もする気配がないことを察し、医療従事者でもない私が、必死に男性の胸を押した。倒れている人を前に、生まれて初めての胸骨圧迫は、正直とても怖かった。訓練用の人形ではなく、生身の倒れた人間が目の前にいる。「けがをさせたらどうしよう、押してもいいのだろうか、倒れた人に何かするなんて怖い」当たり前のように、そう思った。しかし、現場では、そんなことを言っていられなかった。目の前には、倒れているスーツ姿の瘦せ型の男性がいる。意識も呼吸もない。誰もやらないのなら、私がやるしかない。当時は、必要だった成人への人工呼吸も直接、息を吹きこんだ。助けたい一心で迷いはなかった。AEDは、まだ駅に設置されていなかったため、救急車が来るまでは、とにかく心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した。救急車到着までは長く感じられたが、到着してからは、あっという間に担架に乗せられて運ばれていった。

 「こんなに、あっけないのか…」ポツンと現場に取り残された自分に、生身の人間に心臓マッサージをした怖さがジワジワと襲ってきた。震え始めた手をもう片方の手で必死に押さえていた。正直、倒れた状況を考えると、手当した男性が助かるのは非常に難しいだろうと感じていた。その日の夜は、1人になるのが怖くて友人の家に泊めてもらった。その後も、夜は目を閉じると、あの現場を思い出してしまい、なかなか熟睡できない日が続いた。
「こんな時、どこに?誰に?相談したらいいんだろう…」命に関わる重すぎる出来事に、友人にも家族にも相談できなかった。「救命現場に居合わせた人の相談窓口」を探してみたら、相談先は「最寄の消防署へ」となっていた。「あのときの手当が正しかったのか」不安だった私が、消防署へ直接連絡する勇気は、とても無かった。
 「ピンポーン」それから数か月後、一人暮らしの部屋のチャイムが鳴った。出てみると、見知らぬ女性が二人立っていた。「突然、押しかけて申し訳ありません。あの…先日、〇〇駅で倒れた者の家内と娘です。手当して下さったと伺い、一言御礼をお伝えしたくて…」どこから情報が漏れたのかは謎だが、やっと現場の記憶が生活を妨げなくなった頃に「ご遺族」としてご家族が御礼を伝えに来て下さったのだった。そして「倒れた現場の状況を知りたい」とのことで、できる限り思い出して、お伝えさせて頂いた。涙ながらに御礼を伝えて下さり、私も「できることはやってよかった」と思えたら良かったのだが…私の中に残ったのは、手当した方が亡くなってしまったという「現実」だった。もちろん、お辛い中で、ご遺族の方が直接いらして御礼を言って頂くなんて、本当にありがたいことだった。ただ、私の中では「助けられなかった」という現実を突きつけられた気もした。頂いた御礼の菓子折りをどうしたら良いのか、私はいつまでも分からなかった。

 その翌年、駅に繋がる歩道橋の上で、私はまた、人が倒れた現場に遭遇した。意識なし、呼吸なし、誰も手当をしていない状況だった。人通りが多い場所だったが、駆け付けた私の「協力してください」の呼びかけも虚しく「手当してくれる人がやっと来た」と思ったのか、その場からは誰もいなくなった。そして、手当を始めると「ホンマにそれでええんか?医者なんか?」といった野次やカメラで撮影をする人もいて、本当に泣きたくなった。それでも、私は、倒れて意識も呼吸もない小太りの中年サラリーマン風の男性に心臓マッサージを続けた。救急車が到着すると、また救急隊員により、あっという間に運ばれていった。必死の思いで心臓マッサージをした私は、あちこちに散乱した自分のカバンや荷物を一人で整え、トボトボと電車で帰った。もちろん、そこに「お疲れ様」「よく頑張ったね」など声をかけてくれる人など誰一人いない。帰りの電車では、手が震えるので、つり革を握ることさえできず、必死に体を支えながら帰った。

 「世間は世知辛い。愛と勇気で頑張っても、良いことなんか一つもない。」大学生の私は、そう痛感していた。そんな私の目の前で、きっとまた無情にも誰かが倒れてしまうのだ。そして、それを見過ごすことなどできるわけもなく、また苦しい思いをするとわかっていながら、私は「どうしました?」と声をかけるのだ。私は、自分の運命を呪い、バイスタンダー経験を自分の「黒歴史」にした。頑張っても報われることはなく「お疲れ様」」と言ってくれる人もいない。消防からのサンキューカードも、もらったことはない。もちろん、誰かに感謝してほしくてしているわけではない。だが、誰かが人命救助をして感謝状が渡されるニュースを見るたびに「自分は助けられなかった」と再確認させられるようで、辛かった。

 そんな私に転機が訪れる。初めてバイスタンダーを経験してから10年以上が経過していた。私は、学生から社会人になり、結婚出産を経ていたが、相変わらず、倒れる人にはよく遭遇する人生を送っていた。そんな生活の中で、何気なく続けていたSNSに、こんな投稿があったのだ。

「倒れた人に居合わせて手当てしたけど、そのあと手当が正しかったのか分からずモヤモヤする。あれでよかったのかな」

 「私と同じだ!」初めて同じ境遇の人にSNS上でも出会えてうれしかった。その投稿には、全国から様々な救命インストラクターが返信をしていた。その中で「倒れた人に居合わせた人」のことを「バイスタンダー」というのだということも、初めて知った。

「実は、私もバイスタンダーです。過去何件か実際に手当をして、助からなかった方もいらっしゃいます。私の力不足だったのでは…と今でもずっと思っています。」私の投稿に、たくさんの救命関係者、医療従事者がお返事を下さった。

「大変でしたね。よく頑張りましたね。ありがとうございます。」「助からなかったから失敗ではないですよ。手当に着手したこと自体が成功です」「あなたが頑張ってくれたから、私たちも救急車で運べたんですよ。御礼が言えなかった隊員の代わりに、私から御礼を言わせてください」救命インストラクターや救急隊員が、SNSで、たくさんの言葉の温かい言葉をかけてくれた。具体的な対面でのメンタルケアではないものの、その言葉たちは、長年苦しんできた私の心に届き、頑張ったことが少し報われた気がした。勇気をだして頑張ったことに対して、初めて「よく頑張りましたね」と言って頂いて「私は、頑張って良かったんだ…」と涙がボトボトと溢れた。

 そして、2回目の転機が訪れる。私は、子どもの安全分野を啓発するNPO法人を立ち上げ、活動することになったのだ。それに伴い、遅ればせながら、救命インストラクターの資格が必要になり取得した。「もし、私が救命をお伝えする立場になったら、技術だけを教えて終わりではなく、受講者の方が実際にバイスタンダーになったとき、こころのケアまで担えるようになりたい」と私自身がカウンセリングについて学び、カウンセラー資格を取得した。現在、立ち上げたNPO法人では、救命事業部内に「バイスタンダーサポート部門」があり、小さいながらもバイスタンダーサポートを実施している。グリーフケアの専門家、公認心理士、医師などのお力添えのもと、グループワークや1on1のカウンセリング、必要であれば医療へのお繋ぎをさせて頂いている。

 その間、日本の救命分野でもバイスタンダーサポートの研究は進み、バイスタンダーの心的負担についてテキストに記載されるなどの前進はみられるものの「バイスタンダーのサポートは急務である」という記述までで終わっており、実際のサポート体制は国や自治体で整っていないのが現状である。だからこそ、小さい形でも「バイスタンダーサポート」を実施していることには価値があると考えている。現在、一般市民のバイスタンダー経験があるカウンセラーが実施する「バイスタンダーサポート」は国内唯一である。

 救命現場での体験を「黒歴史」として抱えていた私が、同じようにバイスタンダー経験をして悩む人をケアする側に、今は立っている。同じバイスタンダー経験があるからこそ寄り添えることがたくさんあると思っている。そして、バイスタンダー経験のある「カウンセラー」だからこそ、その心を実際に「レスキュー」できるのではないかと思う。
 私を救ってくれた「顔は見えないSNSの言葉たち」は、現代において問題視されることも多々ある。しかし、私のように、顔の見えないSNSの繋がりだからこそ、本音で相談でき、リアルの社会では繋がることが難しいような多くの方からの言葉で助けてもらうこともある。まさに、SNSの言葉たちに、バイスタンダーの私は「こころをレスキュー」してもらったのだ。それは「顔は見えない、体温も感じない寄り添い」かもしれない。それでも、SNSでかけられた温かな言葉たちに涙した私は、見えないぬくもりを確かに感じていた。そのぬくもりをパワーに変えて、これからは「こころのレスキュー」をする側として活動に尽力していきたい。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : SNS上の言葉たち、それを発信して下さった方々

 

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「こころのレスキュー大賞」は、心に寄り添った/寄り添ってもらったことで人生が変わった体験談を通して、真に心に寄り添うサポートとはどんなものかを多くの方に広く知ってもらうことを目的に設立した賞で、毎年10月に作品募集を開始、12月のHITキャラクトロジー心理学協会のイベント〈Heart in Touchアワード〉にて受賞作品が発表されます。
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