ハートインタッチアワード2021
こころのレスキュー大賞ノミネート作品
【エントリー17】秋谷 進(あきたに すすむ)
エピソード
これは中学校に入学したばかりの男の子と私の話だ。小学校と中学校というのは年齢的には繋がっているが、その内容は全く違っている。小学生はまだ幼いということもあり、担任が生徒一人ひとりに話しかけたり、生徒同士も近くにいるから何となく話したりいうような傾向がある。けれど、中学生になってくると、子どもは子どもだが小学生ほど幼くはないので、担任もそこまで生徒に積極的に話しかけたりはしなくなるし、学生も自我が芽生え、人を合う合わないで判断したり、自分にとって都合がいい都合が悪いで判断したり、グループを組んだりするようになる。友だちになる上位の条件としては、「話が面白い」「話を聞いてくれる」「趣味が合う」「気が合う」といった順番だろう。その変化を受け入れ、自分を少し変えて友達の輪の中にうまく入ることができる子もいれば、できない子もいる。そしてできない子は、孤独感を覚えたり、居場所がないと感じたりする。「大人になれば友だちなんて必要ないから平気だ」「他の子たちも気の合わない子なんてたくさんいるじゃないか」と自分に言い聞かせて、一人きりでも平気な振りをするが、そこはまだ中学生。中学生にとって、学校が自分の世界の全てであり、そこで居場所がないと感じるのはとても辛いことだと言える。
彼は、そんな中学校生活に馴染めなかった一人だ。グループに入り損ね、一人で時間を過ごしていた。そんな中でのゴールデンウィーク。連休の間に、だんだんとあの学校に行くのが怖くなっていったのだろう。連休明けの初めての登校日。学校へ行こうとすると頭痛や腹痛がするようになったそうだ。朝は起きられるのだが、布団から出てこられなくなったり、トイレにこもってしまったりを繰り返す。遅刻や早退も目立つようになり、さらに休むようにまでなってしまった。だが彼は風邪などの病気になっているわけではないので、両親は無理やりにでも彼を学校へ行かそうと、朝の忙しい時間に自分たちの車に彼を押し込み、車で学校に連れていくようになった。そのため、朝から両親が怒鳴り声をあげて、彼を布団から引きずり出し、時にはトイレから引きずり出し、まさに闘いの日々となっていった。
そんな日が続き、ようやく一学期が間もなく終わるというところで、両親は小児科医でもあり児童精神科医でもある私のところに、彼を連れてきた。両親も限界が近づいていたのだと思う。私は両親から話を聞き、彼からも話を聞き、その上で診察と血液検査を行った。
「先生、息子は何かの病気なんですか?」
「そうですね。お話と検査結果を見ると、現在考えられるのは悠馬君が中学校という新しい環境の変化に対応しきれずに、身体や精神的な不調を起こしているのだと思います。おそらく、適応障害ですね」
「適応障害……?」
「はい、ですので、学校は心身の不調が回復するまでは休んだ方がいいですね」
私がそう言うと、彼の父親が壁を叩いた。
「ふざけたことを言うな! こいつが病気じゃないなら、それで十分だ! 学校を休ませるなんてありえない。余計な口出しをするな!」
父親は顔を真っ赤にして、私を怒鳴りつけた。その横にいた母親も同意見らしく、反発する様子はない。ただ、彼だけはうつむいたまま、ギュっと握りこぶしを作っていた。
「こんなところ二度と来るものか。ほら、帰るぞ!」
父親は彼の腕をつかむと、無理やり彼を診察室から出そうとした。けれど私はとっさに、彼の反対側の腕を握っていた。
「悠馬君。相談したいことがあったら、いつでも僕のところに電話をしてきてね」
と言い、彼に私の名刺を握らせた。父親もさすがに名刺を奪い取るということはしなかったが、私に対して何も言わず、家族でそのまま出ていってしまった。
その後、彼たちが診察室に来ることもないまま、中学生にとって初めての長い長い夏休みが始まった。ただ両親は、彼が早退、遅刻、欠席で遅れた1学期分の勉強を取り戻させるには、この夏休みに頑張るしかないと思い、朝も早いうちから彼を叩き起こし、両親が仕事をやりくりしながら、彼の勉強を見た。両親にとっては、中学校から後れを取るなんてありえないことだと思っていたのだろう。それに、彼が朝起きれないのも、彼がだらけているだけだと思っていたというのもある。
彼は両親が必死になっているのを理解しているため、両親がいうように勉強を1人でもしようとした。けれどやる気は出ない。だんだんと好きなゲームでさえ、やる気が起きなくなり、何もしたくない状態になったそうだ。だが、両親は彼を労わることなく、夏休みだからと言って呆けているんじゃないと、暴力を振るったり、罵声を浴びさせたりしていた。両親は、これも教育の一環だと思っているのだろう。
そうして迎えた9月1日。夏休みが終わり、今日からまた2学期が始まる。両親は彼がようやく学校へ行く日が来て安堵していた。だが、朝食の時間になっても、彼は部屋から出てこない。もしかしてと思い、部屋に行ってみると、彼は布団をかぶってベッドから出ようとしない。両親は仕事もあったため、その日は彼をおいて家を出た。そして、夜に帰ってきても、彼は朝ごはんはもちろん、昼も夜も食べない。両親が部屋を覗いても、布団にくるまったままだった。
「そんなことしても無駄だ! 今日は見逃したが、明日は絶対に学校に連れていくからな!」
起きているのか寝ているのかわからない彼に向かって、父親はそう叫んだ。
その日の夜中。私はちょうど当直の日で、病院にいた。すると内線がかかってきた。子どもの声で小児科の先生と話がしたいと言っている電話が入っているが、どうするかとのことだ。私は迷わず、外線電話に出ることにした。
「はい、もしもし」
私は電話には出たものの、受話器の向こう側からは何も声が聞こえてこない。しばらく無言の時間が続いたが、私はふとある男の子の顔が浮かんできた。
「もしかして……悠馬君かい?」
夏休み前に一度だけ両親と診療に来た子の名前だ。確信があったわけではないが、彼の可能性であることは高いと思った。それから、2、3分、また無言の時間が続く。だが、これ以上は私から話すよりは、相手から話させた方がいいと思い、相手が話すまで待った。すると――
「悠馬です」
と、彼はようやく名乗ってくれたのだ。
「そうか、悠馬君か。いや~よく電話してくれたね。どう? 元気にしてる?」
私は頭をフル回転にして言葉を選んだ。夏休み明けの9月1日ではあるが、「夏休みは楽しかった?」などと聞くのはタブーだ。もし彼が辛い夏休みを過ごしていた場合、最悪の質問になりえるためだ。だからこういう時は、こちらからは何も言わず、聞くことに徹するのがベストな選択と言える。とはいえ、私は彼とは診察室で1回しか話したことはない。そんな彼に、心を開いてもらうにはどうすればいいのか。
こうしている間にも、沈黙は続く。こうなれば、いちかばちか言葉をぶつけてみるしかない。
「悠馬君。僕のところに電話をしてきたってことは、相談したいことがあるんだよね?」
私はストレートに彼に聞いた。すると、受話器の向こう側からすすり泣く声が聞こえてきた。彼はようやく私に心を開き始めた。
「死にたいんです」
そして、泣き声の中から彼は言葉をしぼりだすように話す。
「もう毎日、毎日。今から死のう、今から死のうと考えています。でも、できない。だから明日こそは、死ぬんだって考えてます。学校にはもう行けないし、こんな自分のことが、嫌いなんだ」
私は彼の気持ちに共感するように相槌を打った。
「わかった。もう大丈夫だよ。僕を頼って電話をしてきたのだから、必ず悠馬君の力になる。もう学校にも行かなくていいよ。悠馬君の両親には、僕が責任をもって伝える。僕は悠馬君の味方だ。だから死なないでほしい」
私はそう伝えると、すぐに彼の父親に電話をし、全てを伝えて明日は登校させないで、両親とともに彼を診療室に連れてきてほしいとお願いをした。
翌日。私と彼の願いは聞き入れられ、両親は彼と一緒に診療室に来た。怒ったり暴力を振るったりしたものの、両親も彼のことを誰よりも心配していたからだ。その後、彼のこれからの人生について、話し合いをした。そのために必要な検査もある。私が外来として継続して通うように伝えると、母親は泣いていた。父親は何も言わなかったが、彼が通院している時は、いつも一緒だった。
両親が彼を学校に行かせたいという気持ちは、私も親のため理解はできる。だが、彼にとっては学校が辛い場所になっている。なぜなら、かれは人の気持ちを考えすぎて、自分の気持ちを表に出せなくなっているからだ。相手に合わせすぎて主張ができず、周りの視線ばかりを気にしすぎて、何もできなくなっていた。両親も、彼のそう言った性格を理解しているからこそ、心配をしすぎてしまったというのもあり、初めての子どもだから一人前にしたいという期待もあり、両親もどうすればいいのかがわからなくなっていたということも分かった。私は、子育ての先輩として、両親の話を聞いてアドバイスも交えて伝えた。そして彼は、学校に行けない自分が嫌いだと言った。それに対して私は、
「でもそれは、嫌なやつが傍にいるのと一緒だけど、誰々のせいって悠馬君は言わないし、人も恨んでいない。悠馬君の気持ちは優しいよ」
と伝えた。彼は、私と両親という味方ができ、だんだんと両親に意見が言えるようになった。そして、両親もそんな彼の変化が嬉しかったのか、私に嬉しそうに話しをしてくれた。
彼はすっかり自信を取り戻し、中学校は学校に行かなかったものの、高校は通信制高校に楽しく通うことができた。友だちに自分から話しかけることもでき、自然と友だちを作ることができたという。その後は大学に通い心理士を目指すそうだ。
中学生の自殺が一番多いとされる9月1日の夜の話であった。
このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 心理カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 児童精神科医
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦













そもそもエッセンス(良いところ)の塊である私たちは、幼い頃のささいで偶発的なできごとや繰り返し体験するできごとを通して、自分のエッセンスを悪しきものと誤解してしまいます。残念ながらこの誤解は成長の過程で避けることのできないもので、ゆえに私たちの誰もが、違った体験から同じ傷を持ち、その強さや深さ、体験の内容の違いが人格となって現れます。ただ、ここで注意すべきなのは、現在の人格は「本来のエッセンスを悪しきものと誤解した」状態のものだということ。
私たちは誰しも、この世に生まれ育ち、大人になってから今までの全ての経験に基づいて現在の選択のすべてをおこなっていますが、「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、さらにその根幹を成すのは子どもの頃の環境や体験です。
この世に生まれ、誰かを好きにならない人はいません。そして、好きになればなるほど悩むことや傷つくこと、腹の立つこと、悲しくなることも多くなるものです。なぜなら私たちは、恋する相手に幼い頃両親とのあいだに起こった満たされなかった体験を無意識に投影しているからなのです。
自分と自分以外の人を分ける目には見えない境界線、それをバウンダリーといいます。
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ヒーリングとは、わかりやすく言うと、オーラフィールド(オーラボディ)のお風呂のようなものです。
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