バウンダリー

バウンダリーの意味と親子や夫婦などによる人間関係を改善するための心理学

この記事では、

  • 人間関係、特に親子間や家族間における問題がバウンダリーとどう関係しているのかについて
  • 幼少期の親子間、家族間におけるバウンダリーが日本の抱える社会問題でもある「いじめ」や「引きこもり」の源であることについて
  • 誰の中にもある「いじめの構図」の可能性について、

さらには

  • 夫婦間・パートナー間のお金のバウンダリー、セクシャルバウンダリー
  • 日本独特な「目上」「目下」という概念がパワハラ・モラハラに大きく関与していること
  • サイキックアタックとは何か

まで言及しお話ししてゆきます。

答えの見えない「いじめ」「引きこもり」の問題、また誰にでも起こり得る夫婦間の問題、社会問題でもあるパワハラやモラハラも、バウンダリーの概念を用いることで解決の糸口が見えてきます。

親子のバウンダリー問題

人間関係がうまくいっているとき、うまくいっていないとき、その鍵となっているのはバウンダリーです。

バウンダリーが健全なところでは物事はうまくスムーズに流れ、一方、バウンダリーが不健全なところでは、トラブルや問題が必ず発生します。

健全なバウンダリーを引くために、私たちは、“自分” と “他” をどのように見分けているか、そしてどこまでが自分の責任で、どこまでが相手の責任なのかの理解と認識を持つことが必要です。

けれども、ほとんどの人にとってこの部分は曖昧で、明確な定義がされていません。
そのために、自分が子どものときに親との関係性の中で習い覚えたバウンダリーの感覚をそのまま他人に対して自動的に適用してしまっているのです。

それにより、人間関係の問題は深刻化してゆきます。

 

Dad pitying daughter. Sad child with father

 

毒親と子どものバウンダリー障害

関係性の中で密接なものというとまずは親と子の関係性が思いつきます。

幼い子どもは、生き延びるために、自分と親との境界を混ぜ合わせて自分を外の刺激から守ろうとしますが、そのとき子どもは親の感情や価値観、意見をもそのままダイレクトに受け入れてしまいます。

そして子どもが本来親から離れて自立し始める就学期になっても、親が変わらず子どもの価値観や感情に侵入し、かつ子どもがそれを受け入れ続けることで、その親子は不健全な関係性に固着することになります。

この場合、どちらかが自分たちの関係性の不健全なバウンダリーを認識し、健全なバウンダリーを引かない限り、社会における他者との関係性にまでこのバウンダリーを適用しようとしてしまいます。

ゆえに、本人の人間関係のみならず、会社やコミュニティの中で混乱が引き起こされてしまうこととなるのです。

 

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引きこもり問題

近年、子どもの引きこもりのみならず、“子ども部屋おじさん” などという言葉に代表される大人の引きこもりが増えています。
日本における15歳〜64歳の引きこもり(=自宅に半年以上引きこもっている)総数は、なんと2019年3月の調査で100万人を超えているという内閣府の調査がありますが、引きこもりの原因とは、いったい何でしょうか。

キャラクトロジー的見地から見ると、引きこもり傾向を発症しやすいのはスキゾイドとマゾキストです。

外の世界は怖くて危険であると誤解することで、パニック障害などを起こし外に出られなくなってしまったタイプの引きこもりはスキゾイドタイプに多く見られます。

一方、外の世界に合わせいい子に生きてきた結果、自分の本当の気持ちを内側に閉じこめ続け、その圧縮されたような自分の内面に閉じこもり人との接触をしたくなくなったタイプの引きこもりはマゾキストタイプに強く表出します。

ここに外側からの刺激が加わると他者に対する攻撃的な要素が発現し(スキゾイドベースのサイコパスかマゾキストベースのサイコパス)、それぞれ他者に対する対応が違います。

 

過干渉が社会不適合者を増殖させる

子どもが社会や外の世界を知りながらしだいに自立してゆくとき、自己責任と自由の両立を学びながら社会と関わり、成長してゆく必要があります。

けれども、権威的な大人からの度を超えた(=個人のバウンダリーを超えた)干渉がつねに日常生活の中にある場合、大人の人格としての自己責任が見失われてしまいます。

こうして、自分が混乱したときや自分の手にあまる事例にぶつかったとき、自分に対して過干渉に振る舞う大人にその問題を丸投げすることによって問題の解決をはかるという子ども時代を過ごせば過ごすほど、その人の社会適合率は下がります。

その反対の度を超えた放任もまた、大人になってからもなお未熟な子どもの意識を持ち続け増大させる原因となりますが、我が子可愛さの過干渉は、自己責任の取れない大人を育成することにつながるのです。

 

Mamas Ksschen

 

親子のバウンダリーの心理学的改善点

いくつになっても親は子どもを子どもとしてしか見ることができないのは事実です。
けれども、子どもの幸せを本当に望むのなら、年齢別に、子どもとの関わり方を段階的に変えていかなければなりません

ここでは、発達段階に応じた親の関わり方をピンポイントでお話しします。

乳幼児期・・・子どもを保護する時期

自立期・・・子どもがやりたいということを条件付きでもやらせてあげる時期

児童期・・・子どもの意思を尊重しながら、できているところとできていないところを見分け、できないところをサポートする時期

思春期・・・子どもの行動や言動にもう口を出したり干渉してはいけない時期。ただしサポートを求められたら応えること

青年期・・・一人の大人として自分の行動や言動に責任を持ち、失敗も痛みとともに受け入れることを見届ける時期

 

Young boy trying to make himself taller with watering can measuring his growth in height against a blackboard scale

 

境界線障害=ボーダーラインは親子の中で形作られる

バウンダリーには肉体的・感情的・精神的・エネルギー的・霊的なレベルがありますが、これらのバウンダリーに親がどれくらい日常的に侵入しているかの度合いによって、境界線障害の度合いが酷くなります。

侵入されること、あるいは境界線が曖昧なことに対して子どもが違和感を感じることがなければ、その子は、他者との関係性においてもそれと同じように肉体的・感情的・精神的・エネルギー的・霊的に相手に入り込みます。
なぜなら、自分が違和感がわからないのと同じように、他者が感じている不快感が理解できないからです。

そのような状態では、あらゆるところで問題を起こすのは目に見えています。
そしてこの傾向は、本人が「侵入される違和感」を真に体で感じ、「No」と感じるまで続きます。

どんなに頭で「これはしていいこと、これはしてはいけないこと」と見分けようとしても、体の感覚で「これは心地いい、これは心地悪い」ということを明確に感じ分けることができなければ、問題の根本的解決にはならないのです。

境界線障害が形作られた親子関係の場合、子ども側のみならず、親もまた、双方がバウンダリーの感覚を強めてゆく必要があります。

いじめの発祥は家族関係に起因する

解決策の見えないいじめ問題は、いまや学校のみならず、職場やコミュニティの中などあらゆるところに見られます。

この、どうやって解決してよいのかわからないように見えるいじめ問題は、実は、それぞれの人が子どもの頃に家族の中で経験した家族との在り方や自分の立場・役割と密接に結びついています

人間は誰しも子ども時代は無力で弱々しい立場にありますが、そのときに、子ども自身が自分が無力な被害者であると感じたり、また無力さや被害者の感覚を感じる、あるいは、家族の中で“加害者”と“被害者”の構図を目の当たりにする機会があると、それがその人にとっての「いじめの構図」の原型として潜在的にインプットされます。

そして、学校や職場など、複数の人間関係が混在する場所で、自分の中に潜在化した“加害者”と“被害者”の構図に近い関係性が展開されたとき、たやすく子どもの意識に引き戻されるのです。

常にどちらかであるわけではなく、被害者の立場になることもあれば、加害者の立場になることもあります。

子どもの意識から、外に起こってくる問題を見て解決しなければならないと感じると、子どものときに「そうしたかったけれど、やっぱりできなかった」という現実を再創造するにとどまってしまうため、新たないじめの構図を社会に作り出していきます。

けれども、子どもの意識を癒し、大人の意識(アダルトエゴ)を育て、目の前に繰り広げられるできごとに、たとえ子どもの意識が反応したとしても大人の意識で対処対応し、自分自身をホールドしながら社会にとって、みんなにとってもっとも良い形で自己責任を取るというやり方へ移行するだけで、いじめ問題は深刻化せず収束の一途をたどる傾向があります。

このいじめの構図をすべての人が理解し、自らの子どもの意識を癒しホールドするやり方を学ぶことが、いじめ問題を克服してゆける方法です。

 

夫婦のバウンダリー問題

結婚の意味

女性の社会進出が進み、生き方が多様化する現代では、「結婚」の意味がかつての時代とは大きく異なっています。

「結婚」が役割分担であり子どもを育てていく安らぎのゆりかごであった時代はもう過去のものではありますが、「自分で生活していくことができれば結婚はしなくても良い」と考えるのは、人間としての本質からは少しずれているように思います。

たとえ子どもを持たなくとも、結婚とは、人生における幸福に深く関与しています。

一人で生きてゆくよりも、パートナーと共にいる方が孤独感は消え、関係性の中でいつも自分自身を満たせるという利点があるため、特に人生の終盤において、安らぎや幸福を独身の人に比べて感じやすいといえます。

けれども、ただ結婚をしていれば幸せだというわけではもちろんありません

仲が悪く、いつも言い合いをしている夫婦でい続けるよりも、離婚をしてしまった方が自分にとっても子どもにとってもはるかに幸せを感じる結果になるというのは事実です。

大切なのは、結婚の質です。お互いが幸福に暮らしてゆくためには、お互いの間で敬意あるバウンダリーを大切にしていられるかどうかが重要です。

 

Couple of romantic lovers cycling

 

円満な夫婦関係の障害の原因

テレビのリモコンや夕食のおかずをめぐって深刻な夫婦喧嘩をしたことのある方も多いのではないでしょうか。

このようなとき、大抵の場合、一体何が原因だったのかは深くわからないまでも、とても感情を害したという感覚だけが残ると思います。

実はこのとき、目に見えないバウンダリーが侵害されているのです。

どんなに愛し合っている二人でも、生まれ育ってきた環境や価値観はまったく異なります。そのため、一つの出来事に対して起こってくる反応も当然違います。

けれども、長い間一緒に暮らしていると、「言わなくてもわかってくれるはず」という、子どもの頃親に対して持っていた幻想の中から相手を見るようになってしまうため、相手は自分とは価値観の異なる他人であり、ましてや自分とはまったく違う感情を感じていることに気が回らなくなってしまうのです。

その結果、現実的には愛する人が目の前にいるにもかかわらず、心の中では、まるで親に反発するティーンエイジャーのような態度をとっていることに気づいている人はほとんどいません。

自分のバウンダリーがどれほど曖昧であるか、あるいはどれほど硬直しているかは子ども時代を過ごした家庭の中での親との関係性によって違いますが、共に暮らすパートナーとの生活において、まるで子どもが親と暮らしているかのような誤認が意識の中で起こってしまうために、夫婦は常にさまざまなバウンダリー問題に抵触しています。

表面的には何ごともなく日々を送っているようでいて、実は水面下ではお互いにさまざまな不満や麻痺が起こっているのです。

そのことが、現在のみならず老後の孤独という痛みの中に、人々を閉じ込める要因となってしまっています。

 

Snoring man problem

 

夫婦のマネーバウンダリー

結婚したら家計の財布が一つになるという家庭は多いのではないでしょうか。

また、日本では、会社勤めをした場合の賃金が男性の方が女性より高いというケースが多いために、男性が家計の大半を担うという現状はそこかしこにあると思います。

けれどもかつての日本では、夫婦であっても家計も遺産も別々でした。お金のバウンダリーは昔の方が今よりもしっかりしていたようです。

現在のような形になったのは、1800年代末頃に家族法が制定されてからのことです。これ以降、男性は家族のすべての生活の面倒を見なければならず、また女性は男性や家族の世話をしなければならないという役割分担が定着しました。

今や核家族という小さな家庭の中で当たり前のように存在するようになったモラハラやパワハラは、江戸時代にはありませんでした。

そして、家族の世話をするために女性が社会に出なくなると、家族の中での女性のマネーバウンダリーはさらに曖昧なものとなっていきます。

自分の生活費を自分の手で稼ぎ、夫婦双方が自立しながら共に暮らすよう夫婦双方のマネーバウンダリーが引けると、それだけで夫婦間の争いは減る傾向にあります。(生活力があれば、嫌だったら別れればいいのですから!)

日本におけるこの曖昧な夫婦間のマネーバウンダリーは、一見出口の見えない迷路のように感じることもありますが、女性が自立し手に職を持ち、自分自身のお世話ができるようになるだけでも、夫婦の間に幸せな老後が訪れやすくなるのです。

夫婦のセクシャルバウンダリー

現在は、夫婦間であっても同意なく性交渉を行うことは、夫婦間レイプとして見なされることがあります。夫婦なのになぜレイプ? と思う方も少なくないかもしれません。

先ほどお話しした家族法の成立により、女性が自分で自立していない場合、男性は自分の妻を自分に属している持ち物であるかのように感じていた時代がありました。

男性は妻と子どもの生活を金銭的に保障し、女性は男性の世話をしなければならない、あるいはすることが当然であると考えられていたのです。

戦後の高度成長期に国が掲げた政策により、誰もが結婚するのが当然であるという時代を経て、日本にこのスタイルが定着してきたように思います。

この制度は、たとえ愛がなくとも結婚し共に支え合うという意識があった時代であったから成立していたものです。結婚をしなくても生きていくことが可能となった現代では、結婚の意味すら危うくなっているのが実情です。

話を元に戻しましょう。結婚=女性が男性の持ち物となる ことでは当然ありませんので、女性にその気がなければ、男性は性的に満たされないという状態が起こります。

世界には、手順を踏んで優しく行動し、合意のもと性的につながっていくという習慣のない国もあり、そのような国で女性が男性に酷く扱われるのを見て育った子どもは、同じように自分の妻、あるいは女性に敬意なく触れていくという悪循環が起こります。

人間らしい生活と暮らしができる国づくりを心から望むのであれば、夫婦間であっても、合意の上で性的なむすびつきを進めていく必要があることを忘れてはなりません。

 

夫婦のバウンダリーの心理学的改善点

では、夫婦の間で歳を取っても仲の良い関係を維持するためには、どのようにバウンダリーを考えたらよいのでしょうか?

バウンダリーには12のバウンダリーがあります。

肉体的/感情的/精神的/エネルギー的なバウンダリーが、夫婦の間で混乱していくと、愛ある夫婦関係から馴れ合いへと移っていきます。(参考:人間関係の問題や弱点を改善するバウンダリーの引き方と作り方の心理学アプローチ

これを防ぐためにも、お互いが自分とは違う存在であることをお互いが理解し、受け入れ、自分自身に対するのと同じように相手にも敬意を持って接するということが何よりも大切です。

バウンダリーは、体に近い方から 肉体的/感情的/精神的/エネルギー的なバウンダリー となっていきますが、体に近ければ近いほど、一旦こじれてしまうと夫婦の溝が深くなってしまう傾向があります。

夫婦であったとしても、感情も価値観も、そしてもちろん肉体も全く別の他人であるということを受け入れ、思いやりといたわりの心を持って接することが必要です。

たとえば相手のプライベートゾーンに近づいていくときにはきちんとノックをするなどの配慮は、夫婦間であっても必須です。

 

家族のバウンダリー問題

家族は一番小さな単位の小社会

一人からパートナーを得て二人の関係性となり、二人の間に子どもが生まれ家族を構成する数が “2” から “3” へと移ったとき、一つの小社会が形成され、その中で、他を守るべき立場の人、守られるべき弱い存在、といった役割が自然とできあがっていきます。

その家族の中で自分が担っていた役割を、大人になり家族という単位を出て違うグループに入ったときにも、無意識に引き受け、行動してしまうことが多くあります。これがいわゆる長女気質や末っ子気質と呼ばれるものです。

ここでの問題は、家族の中における役割と社会的なグループの中で求められている役割は決定的に違うものであるにもかかわらず、当人はそのことに気づかぬまま会社やコミュニティの中で子どもの役割をそのままに振舞ってしまうことです。そのため、問題が引き起こされてしまいます。

 

Junge Frau denkt an Kinderwagen

 

役割が引き起こす心理的混乱が社会的混乱を引き起こす

5つのキャラクトロジーによる子どものときのディフェンス構造は、大人になり社会に出た中でも引き継がれていきます。

会社とは業績を上げ、利益を上げることが求められる公の場ですが、その中に、子どもの意識のまま気ままに振舞ったり、あるいは責任を放棄したり、誰かが親に成り代わり自分の問題を引き受け解決してくれることを願っている社員が一人でもいるだけで、その会社は業績が伸びず混乱していってしまいます。

 

仕事と人間関係とバウンダリー

目上・目下の因習はパワハラ・モラハラの温床

私たちは、まず家族という小社会の中で人と人との関係性における線引き、つまりバウンダリーの感覚を学びます。そして、学校での仲間たちとの関わりの中でも、引き続きこのバウンダリーの感覚は成長し、形成されていきます。

日本では特に、「目上」「目下」という因習が学校や会社に強く残っているため、家庭内で体験した弱い無力な存在としての立ち位置が、学校や会社の中では「目下」として扱われる状況を引き起こし、本来はサポートを受ける立場である弱い立場の人たちを脅かしています。

この因習は、戦時中の軍隊のやり方から引き継がれたものです。終戦後、日本に引き揚げてきたたくさんの日本人兵士たちが、働く場として学校で生徒を教え導く教師という職を得ましたが、彼らがその後も引き続き行った軍隊方式の在り方は、今でも日本のスポーツ界には色濃く残っており、「先輩」と「後輩」という決して超えられない壁を未だ形成し続けています。

アメリカでは、スポーツでスター選手になった者がそうではない下の選手をいじめる傾向がありますが、日本では、上級生が下級生をいじめます。下級生がスター選手になったとしても、日本では先輩が依然として後輩よりも「偉い」ため、力量にかかわらず上の者が下の者をいじめるのです。これは歪んだまま民族的に引き継がれている日本の「目上」「目下」というバウンダリーが招いている問題です。

 

エネルギー的バウンダリー障害の種類

エネルギー的にバウンダリーを引く、ということが、何か特別な能力を持った人だけができることであるとほとんどの人が誤解をしています。

けれども、子どもの頃、両親の喧嘩を目の当たりにしたり、他者からの怒りを伴った叱責を体験したことのある人は、誰かが喧嘩をしているのを見ただけで怖いと感じたり、誰かから叱責されるかもしれないと感じただけで学校や会社に行けなくなったりしてしまう現象が現実的に存在していることを、私たちは理解しています。

しかし、「先生に怒られるかもしれないから」「同級生に馴染めないから」学校に行けない・行きたくないという現象だけを捉えると、そのとき関わっている友人や先生が何かをした・しなかったという点のみに争点が絞られ、問題の本質からは外れた論議となりがちです。

アレルギー反応と同じく、子どものときに過剰摂取した体験に対して、私たちはその後同じようなできごとや現象、そして他者の感情に敏感に反応するようになります。

たとえば、怒っている人がいると、それに気づかないふりをしようとしたり、その人に近づかないようにするというのは、誰しも経験したことのある行動だと思います。

なぜなら、人の感情が動いているときには、必ずそのエネルギーが周りに放射されていて、私たちは、これらの感覚を絶えず受け取り、実はそれに気づいているからです。私たちはそのことに目覚めていかなければなりません。

人の感情といった生々しいものでなくとも、光の差さない山奥や森の中に入っていったとき、何かここから先に行っては行けないようなおどろおどろしい感覚を感じたり、あるいは山の中の廃坑や廃病院に足を踏み入れようとしたとき、思わず足がすくんで立ち止まってしまうという体験を若い頃にしたことのある方は多いのではないでしょうか。

このような瞬間、私たちは、間違いなく何かしらのエネルギーを感じて体が反応し、動けなくなったり、怖くなって体が硬くなったりしているのです。

このエネルギー的な感覚に対して、「ここまでが自分の感覚」であり「ここからは外にある感覚」であるというバウンダリーを引くことができなければ、幼い子どもの頃と同じように、いつも周りに起こってくるエネルギーの波にただ翻弄され続けることになります。そしてそれは、学校や会社に行けなくなるという現実的な問題を引き起こすだけではありません。

たとえ心穏やかに、誰かを安心して愛したいという美しいニーズを内に秘めていたとしても、自分の感覚と外にある感覚に明確に線引きができない人は、他者の感情や気分によってたやすく自分の気持ちや感情が揺り動かされ、安全や愛を感じることがなかなかできなくなります。そしてそのことによって、愛ある関係性、そして周りとの人間関係の中で喜びを感じていくという体験から自分自身を遠ざけてしまうのです。

つまり、外にあるエネルギーを知覚し、それに対して自分はこう感じている、というエネルギー的バウンダリーの感覚を発達させていくというのは、幸せな人生に必要不可欠な要因のひとつなのです。

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サイキックアタック

サイキックアタックという言葉を聞いたことはあるでしょうか?

源氏物語の六条御息所といえば、なんとなくイメージしていただけるかもしれません。

現代風に言うならば、生き霊などというおどろおどろしいネーミングになりますが、そこまで深刻ではなくとも、私たちは常に関係性の中で互いを思い合い、相手を害そうという思いがなくとも、サイキックなエネルギーを相手に届かせています。

たとえば、我が子のことが心配で心配でたまらず、常に「大丈夫かしら」と子どものことが心から離れない母親は、四六時中子どもに向けて心配のエネルギーを放射し続け、それにより子どもは目には見えないけれど何かしらの引っ張られるような感覚を感じ、困惑し動けなくなっていきます。

あるいは、喧嘩した恋人同士や決定てきに価値観がぶつかり合い喧嘩別れしている友人同士の間では、自分の中で解決していないその時わからなかった何かがクリアになるまで、相手に対して「何なんだよ!(私は悪くない、お前が悪い)」と怒りを持つその感情のエネルギーが、まっすぐに相手に向かっていきます。

人の思いというものは強いもので、このこじれたエネルギーは、誤解が解けるまで相手に届き続けます。

けれども、自分の側がそのエネルギー的な感覚を知覚することができ、かつグラウンディングし、それらを外し、回避するためのワークができさえすれば、相手はいずれ、別の人と同じ問題を起こすために自分から離れていきます。

エネルギー的なバウンダリーを引くには、グランディングする、エネルギーを知覚する、相手の意識を外すというステップが必要です。

現在私は、このようなサイキックアタックから効果的に自分を守り、サイキックアタックを遮蔽することのできるテラヘルツ鉱石の研究と開発を進めています。

まとめ

いかがでしたか?

「いじめ」「引きこもり」「パワハラ・モラハラ」問題の根っこ、さらには夫婦間やその他の人間関係の中で起こってくる障害や混乱の根っこは、幼い頃の親子間・家族間の関係性、つまり健全でない親子間・家族間のバウンダリーにあったと知って、驚かれている方も多いかもしれません。

また、相手を害そうという気持ちがなくとも、我が子を愛するがゆえに心配する気持ちですら相手にとっては不快にも感じられるサイキックアタックになるというのは衝撃的な事実ではないでしょうか。

実際に幼い頃自分が親子間・家族間においてどんな関係性の中にあったか、どんな感情をそのときに感じていたか、どんないじめの構図が自分の中にあるのか、その可能性を探ってみること、そして他者との間でどんなバウンダリーを自分が引いているのかに意識的に気づいていくことは、これらの問題を解決する大きなひとつの糸口になります。

実際のワークを通してその可能性を探ってみることもひとつの方法です。

ワークのサポートが必要な方は、ワークショップや講座を受けられてみてくださいね。

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