ハートインタッチアワード

天涯比隣(てんがいひりん)【ハートインタッチアワード2021ノミネート作品】

ハートインタッチアワード2021
こころのレスキュー大賞ノミネート作品

【エントリー84】吉澤 聖一(よしざわ せいいち)

ハートインタッチアワードとは?

ハートインタッチアワード・こころのレスキュー大賞は、誰かに真に心に寄り添ってもらった体験、誰かの心に真に寄り添った経験を通して、真に心に寄り添うサポートとはどんなものかを実例を通して多くの人に広く知ってもらうことを目的に設立した賞です。
Heart in Touch AWARD

エピソード
祖母が倒れた。入院した。
病院は、会社から近かった。
仕事が終わる。
面会に行った。

クリスマスが終わったころ。
病院の玄関や待合室にも、しめ縄や門松が小さく飾られていた。
神さまを迎え入れるための、新しい年の匂いがした。

祖母は認知症を患っていた。
しかし、私が顔を見せると、柔らかで優しい笑顔を向けた。
だが、話すのもつらそうだった。
息がゼイゼイする。
すぐに呼吸が荒くなる。
心臓が弱っていた。
それでも、祖母は体を起こし、頼みがあると、私に言った。
これまでの人生を書いて欲しい。
いつもぼんやり焦点の合わない目をしていた祖母だが、はっきりとそう言ったのだ。

それから会社が終わると、毎晩、病院に行き、祖母の話を聞いた。
認知症という病気の壁は厚く、
祖母は、何度も何度も同じ話を繰り返す。
あれこれ角度を変えて聞いてみるが、なかなか進展しない。

死の足音がひたひたと近づいてくる。
祖母は死神に挑むように、しゃべり続けた。
私も、丁寧にひとつずつ確認し、一行一行、祖母の人生を紙に刻んでゆく。

過去に向きあうのは、祖母にはつらいことだらけだった。

戦争。大空襲。
火だるまとなって橋の上から、たいまつのように落ちてゆく人々。
機銃掃射を受け、頭が砕け、脳みそが飛び散り、顔がスイカのように割れた光景。

これまで祖母から戦争の話を聞いたことは、一切ない。
空襲の中、親にはぐれて泣いている子供がいた。
自分が逃げるだけで精一杯。
その子供を見殺しにしてしまったと、祖母は今も苦しみ続けている。

自分の苦しみは誰からも救ってもらえない。
自分も他の誰かを救うことはできない。

心の中は見えない。
その人にしかわからない痛み、悲しみ、苦しみ。
だが、話を聞いてあげることだけで、祖母の心が優しく癒えていくのが感じられる。

心は不思議だ。
ひとりであっても、澄み切った満月のような安らかな気持ちになることもできる。

天涯(てんがい)とは、とても遠いところ。
比隣(ひりん)は、隣近所という意味。
遠い場所にいても、いつでも心は通っていて、いつも隣にいるような親しい気持ちがあるということ。

死の恐怖や絶望。
その人の悲しみや苦しみに、完全に重なりあうことはできない。
だが、その悲しみや苦しみに寄り添うことで、天涯比隣の感情を呼び起こし、恐怖や絶望を乗り越えられるのではないか。

祖母の話を聞き書きしながら、私はそんなことを思った。
祖母の人生を綴ったエッセイ。
それは、祖母への手紙。

祖母は、私の手紙を抱いたまま静かに逝った。

お別れの日。
呼びかけると、酸素マスクの中で祖母の唇がぱくぱくと動いた。
若い看護婦さんが手を握ってあげて下さい、と言って病室から出た。
意味が分からず、私は祖母の手を握った。
久しぶりに握る祖母の手は、枯れ木のように細く、干からびていた。
すまない、と思った。
こんなになるまで、祖母の手を握ったことがなかった。
幼いころ、遊園地や動物園にたくさん連れて行ってもらったことを思い出した。
「ありがとう、おばあちゃん」

祖母は話すこともできず、目を開けることもできない。
祖母は遠い場所にいる。
しかし、祖母の心の波長が感じられ、すぐそばにいるように感じられた。

「おばあちゃん」
もう一度、呼びかけたが、もう祖母の唇が動くことはなかった。

苦しみの表情はなかった。
ろうそくの炎がすっと消えたように、本当に安らかな顔だった。
祖母は生涯を浄化し、静かに昇天した。

祖母の手は、まだ温かく、安らかに永眠した。
死を悲しみだけでなく、もっと前向きに考えられるようになった。
老いや死は避けることはできない。
だが、心からの幸福を感じることができれば、
充実した仕事をした後のように、
静かに安らかに、眠ることができる。

自分自身の生とも、向きあうようになった。

やりたくもない仕事をさせられ、幸福も喜びも感じられない。
自分が本当にやりたいことは、何だったのか。
自分が死んだとき、自分が生きた証を残せるのだろうか。
「書くこと」で、自分の未来を切り開けるのではないか。

祖母のお通夜の日。
祖母に親しくしてくれた方たちに、祖母のエッセイを渡した。
この世に生きた記録として。
この記録を読むたびに、
祖母は、心の中に蘇り続ける。

祖母の死をきっかけに、
私はその後、サラリーマンを辞めた。
作家になり、ライターになった。
ひとり海外を旅することが多い。
戦場では、見知らぬ人の死を看取ることもある。
その時は手を握る。
私が死ぬとき、
愛する人に手を握って欲しい。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 祖母の存在 私の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : ライター業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 吉澤慎一郎

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