柴田真奈美(愛媛)
ベーシックグランドマスター
「いい人」である一方で身近な人に対して怒りをコントロールできない自分のギャップに悩み、鬱を発症。数年間の引きこもり生活の後、自分の興味にしたがって動き始める中で徐々に社会との接点を取り戻す。
看護師として復職し働くかたわらイベンターとして活動している時、山本美穂子とキャラクトロジーに出会う。心の学びとスキルの研鑽を続け、現在は、キャラクトロジー講師、メディカルヒーラー、プロセスファシリテーターとして活動の幅を全国に広げている。
目次
美穂子先生との出会いは「成功につながるスピリチュアルセックス」
初めて美穂子先生にお会いしたのは、札幌で開催された「成功につながるスピリチュアルセックス」というセミナーでした。主催の素子ちゃん(グランドマスターの坂井素子さん)はおろか、山本美穂子さんって誰かも知らなかったのですが、タイトルに散りばめられた“成功”とか“セックス”とかいった単語は私の大好物で(笑)、これは行くしかない! と思って参加したのです。
セミナーの中で少しだけ触れたキャラクトロジーにも興味を惹かれましたが、何よりも私が興味を持ったのが美穂子先生の「在り方」です。これまで自分が関わってきた誰とも違う感じがして……それは多分、感情的反応とかマスクではない部分でお話されていたからだと思うのですが、それがとても不思議で。「なんなんだろうこの感じ。なんなんだろう、この人」と思いましたね。
いきなりのイベント主催打診
出会いから半年後、先ほど名前の出た素子ちゃんを通じて美穂子先生から打診をいただき、札幌である方の講座を主催させていただくことになりました。その頃の私は、看護師として働くかたわら札幌でスピリチュアル系のワークや講座のイベンターのようなこともしていたので、それもあって主催を依頼してくださったのだと思いますが、一回しか会っていない自分のことを信頼してもらえたことがとても嬉しかったのをよく覚えています。
実はそれまで札幌で何度か美穂子先生のプロセスグループは開催されていたのですが、参加はしてきませんでした。今思うと、“自分を癒す”ということが怖かったのだと思います。それより前、鬱に苦しんでいた時に自分の内面を見ることをある程度してきていて、ここ2〜3年ようやく落ち着いていたところだったので、「まだ自分を見るとか癒すとかやらなきゃいけないの?」って思って。
自分が主催ではなく参加した初めてのプロセスグループで、美穂子先生にファシリテートしていただきながらワークをしました。その時の内容は話すと長くなるので割愛しますが、他者に対する認識についてものすごく腑に落ちたことがあり、ワーク前とワーク後でまったく感覚が変わったのです。そしてまた、幼少期の体験が今の自分の生き辛さやうまくいかない部分にそのままつながっていることを実感することができました。
そこからキャラクトロジーに対して一気に興味が湧き、セルフアウェアネス・スキルの講座を受けてスキルを身につけたり、プロセスグループにも毎回参加するようになり、少しずつそれまで知らなかった知識としたことのない体験が増えていきました。また、キャラクトロジーそのものも学びたくて、現在のベーシック講座は当時半年間の連続講座だったのですが、その講座を受けに毎月東京まで通っていました。ベーシッククラス(身体とこころとオーラの体験型心理学講座)を半年、続いてリレーションクラス半年と、合計1年間、毎月東京まで通っていましたね。東京でリレーションクラスを受けている最中に、新たに札幌でもベーシッククラスが開講されることになったので札幌でも2度目のベーシック講座に通い始め、さらにその後札幌ではヒーラークラスの開講も決まったため、ヒーラークラスも受講しました。
「寄り添う前にすることがある」
東京までわざわざ1年間も通ったのには他にも理由がありました。
友達が苦しんでいた時に、寄り添いたいと思っているのに、どうしていいかわからなくて固まってしまい何もできなかったという体験があったのです。話を聞くことはできるけれど、それだけではダメな気がして……看護師としての自分も、患者さんに寄り添っているつもりだったけれど、果たして本当に寄り添えているのだろうか、という疑問がいつもついて回っていて。だから、本当の「寄り添い方」を知りたかったのです。
そして東京まで通い、美穂子先生から学び続けた中で気づいたのは、「寄り添う前にすることがある」ということです。
寄り添いたいと思っていたけれど、そう思う私は、まったく自分のことを知ってはいませんでした。誰かに寄り添おうとする前には、自分のこと—-なぜ自分が今この状態にいるのか、それを知った上でないと、本当に寄り添うことはできないということを学びながら知っていきました。すると、それまでとは違った形で相手と関わることができるようになっていったのです。患者さんに対しても、家族に対しても、同僚に対しても、一方的に相手を見るのではなく、少し引いたところから見ることができるようになったというか……自分の考えや思いを押しつけずに済むようになり、関係性がどんどんスムーズになっていきました。
いい人のふりをしているのが私なのか、怒りのまま動いてしまう私が私なのか
私、ずっと、身近な人に当たり散らして生きてきたんです。
外ではとってもいい人なんだけど、家に帰ると、元夫に怒りをぶつけたり、子どもが何かするとすぐに怒り狂ってしまう、みたいな。そんな自分をどうにかしたかったけれど、外ではいい人のふりをしていたので、そんな自分の本性を人に話したら誰からも相手にされなくなってしまうと思い、怖くてとても人には言えませんでした。外でいい人のふりをしている私が私なのか、怒りそれ自体が私であるくらいの、怒りをコントロールできず怒りのまま動いてしまう私が本当の私なのか、そのあたりがまったくわからなくなってしまって。
鬱になりました。
その頃の外的世界の出来事としては、不登校になった我が子の選択をようやく受け入れることができた時期でもあったのですが、そうしたら今度は、私が動けなくなってしまったのです。自分のこともままならない状態で、中学生になった子どもは実家の両親に頼み、私は一人暮らしで部屋と病院通院の往復だけをする日々。それが2年半ほど続きました。ありがたいことにそれまで仕事をしていた職場では休職扱いにしてくれたので、少し回復した頃、1日数時間の勤務から復帰し再び看護師として働き始めたのですが、1年くらい経ったある日、またもや玄関から外に出ることができなくなってしまって……私はもう普通の人の生活はできないのだと思い、普通の人の生活を送ることにしがみつくのを諦め、仕事も辞めて実家に戻ることにしました。
生きている間に、私、何をしたいんだろう?
……このままだと、突発的に死んでしまうかもしれないと思ったんですよね。本気で死ぬ気ではなく、ついうっかり死んでしまうかもしれないと。
実はこの2年半の間にも、自傷行為を繰り返していました。自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなって、生存確認のために手首を切って、「あ、血が流れた。私生きてる」と確認したり、あとはずっと寝ていたくて薬を過剰摂取するとか。ここは看護師の知識があると思ってやっていたのですが、ついうっかりギリギリのラインを超えて深く切り過ぎてしまうとか、飲み過ぎてしまうとかで死んでしまう……それは避けたいなと。
というよりも、そもそももうこの思考がおかしいじゃないですか。これはまずいと思い、一人でいない方がいいし、体を動かした方がいいとようやく思うに至り、それが復職に繋がったのです。でも結局、再び動けなくなってしまった。
このままだと前回の2年半より長く動けなくなってしまうか、突発的に死んでしまうか、私の未来はそのどちらかしかないと絶望的になった時、初めて、「じゃあ私、生きている間に何をしたいんだろう」という問いかけを自分にすることができたのです。
それまでの私は、何か楽しいことがあっても、100%喜んだり楽しんだりすることができませんでした。なぜかというと、喜んだり楽しんだりすると、その分嫌なこともやってきて不幸が倍増するような気がしていたからです。だから心から楽しむということができなかった。だから、死ぬのなら、こんな不安なく「嬉しい!」「楽しい!」と思う体験をしてそれから死にたい、と思ったのです。
仕事を辞め、一人暮らしのアパートも引き払い、実家に帰った後は、とにかく自分がやりたいこと、楽しいと思えること、興味のあることだけをやらせてもらったんです。例えばこの人に会いたいとか、この人の話を聞きたいとか、そう思ったらそれを自分のために叶えて揚げたんです。そうしていくうちに私は少しずつ元気になっていきました。病院に通ってもお薬を飲んでも治らなかったので、看護師の知識をまたフル動員して(笑)自分の判断で少しずつお薬も減らしていきました。半年くらいかけて、それまで飲んでいたたくさんのお薬を全部止めることができて、それが自信につながり、もう一度看護師として現場に立ちたいと思うようになりました。
2~3時間ほどの短時間の勤務を週に2~3度からでOKという私の希望にぴったりな職場も見つかり、自分のペースで少しずつ現場復帰を果たしていく中で、自分の会いたい人に会ったり興味のあるイベントに顔を出すことも続け、だんだん家と仕事、家と病院通院の往復だけだった私の世界が広がっていきました。
そんなことをしているうちに、私が話を聞きたい人の話をみんなにも聞いてもらえたら、みんなで一緒に体験できたらという思いが湧いてきて、イベントや講座の主催をするようになりました。案外、北海道ではそういう講座のようなものって開催されていなかったんですよね。行きたければ個人個人で東京まで行くみたいな感じで。
で、冒頭でお話しした、美穂子先生のイベントに初めて参加したのがこの頃のことです。
キャラクトロジーの学びを深めてゆく
その後私はキャラクトロジーの学びをどんどん深めていくのですが、キャラクトロジーを知りたい!という強い気持ちの下にあったのは、今お話ししてきた中に出てきた、「何で私はこんなにも怒ってしまうのか?」「どうして私は鬱病になったのか?」という疑問です。そして学ぶにつれて、自分が感情的反応に巻き込まれていたということ+そのやり方“しか”知らなかったということ、そして普通に生きてきたと思っていた幼少期にその原因があったということを知りました。そうしたら、感情的反応に巻き込まれにくくなってきて、さらに怒りを健全に自分の中で扱うことができるようになったのです。これは私にとって、本当にすごく大きいことでした。
先ほどもお話ししましたが、誰かに寄り添う前に自分を知らなければならないということがわかり、でも自分が何をわかっていて何をわかっていないのか、それがわからなかった。看護師として「目に見えるもの」だけをずっと信じてきたので、エネルギーとかオーラとかまったくわかっていなくて。ヒーラークラスに行けばわかるだろうとヒーラークラスにも通い始め、今年(2022年)で6回目の受講をしています。今ですっかり古株で、美穂子先生からメディカルヒーラーとしての認定もいただき、またクラスではサイコパス担当のアシスタントティーチャーもさせていただいています。
美穂子先生がよく「ヒーラーは、自分の傷を癒したところまでしかクライアントを連れて行けない」とおっしゃるのですが、いくら自分の学びを深めても、わかっていない領域がなくなることはないと毎年思っていて……学ぶほどに理解は深まるけれども、わかっていないところも同時に浮き彫りになり、6年目の今も、そこを知りたいという探究心でいっぱいです。
私自身が「場」でありたい
私はとにかく、人と関わることが好き。
看護師としても、物覚えが良かったり要領よく仕事をこなせるタイプではなかったのですが、でも、ふとした時に患者さんがそれまで生きてきた人生についてお話ししてくれることがあり、そのお話を聞けるのは私にとって喜びでした。今までの人生があって、これからの未来がある、「今」に寄り添わせてもらえること—-看護師の時にはたくさんの患者さんを一度にみていなければならなかったので、もっと話を聞きたくてもなかなか時間が足りないことが多かったのがフラストレーションだったのですが、今、ヒーリングのセッションを行う時には、1時間かけてじっくりとクライアントさんのお話をお聞きして一緒にいることができます。この時間が私にとっては本当にすごく幸せなんです!
この下には、昔の自分が見え隠れします。
困っているのに誰に話していいのかわからないし、そもそも話していいのかどうかもわからない。どうにかしたいのにどうにもできなかったという苦しさの中でずっと生きていたかつての私。それが、自分の過去を知らない人と話して、自分の思っていることや考えていることを伝えてそのまま受け入れてもらえた、というのがとても新鮮な体験だったのです。私は私のままでいいんだ、と思えました。失敗したり、間違えたり、困りごとを抱えているときにただそばにいてくれる人、ただ話を聞いてくれる人がいるというのは本当に救いです。私はそれがあったからここまで来れました。
だから、どうにもならない人生の中でもがいている人、どうしていいかわからないと途方に暮れている人に、私は寄り添いたい。自分が自分のままでよかったと思える、ホッとできる時間と空間を提供していきたいし、私自身がそんな「場」でありたいと思っています。